突然

 それは突然だった。ほとんど不意打ちだった。「あつ、○○ちゃんだ!」テレビを見て叫べるくらいだからまだ僕も若い。いつまでも心は二十歳、身体は昔から米寿。このギャップに悩まされ続けている。  女子アナになるのが如何に難しいかを垣間見せてもらったおかげで彼女が決まったときには嬉しかった。希望する職業に就けるのは誰も出来そうで出来ないものだ。僕なんか当然俳優か歌手かモデルだと思っていたのだが、今では田舎のしがない薬剤師だ。  昨夜何気なくニュースを見ていたら画面の右半分にマイクを持った若い女性が現れた。何かをレポートし始めたのだが、その女性の顔に見覚えがあり一瞬釘付けになった。そして画面左に小さく出た名前で彼女が○○ちゃんだと分かった。震災のことで、すっかり彼女がその職業に就いたことなど忘れていたので、時間が逆戻りした。冒頭のように叫んで妻にテレビを見るように促したが、その後はただ自転車がトラックに積まれる光景だけだった。ただ、確かに続いているコメントの声は○○ちゃんだ。何故僕が緊張しないといけないのか分からないが、終わるまでハラハラだった。よどみなく終えたのを確認してほっとしていた自分がいた。僕は親か?と自分で呆れるが、僕は祖父か?とまでは言いたくない。僕は叔父か?くらいが丁度いいかもしれない。  他人の家の実力に便乗して喜ぶ癖は治らないみたいだが、これも疑似体験の一つの特技だ。我が家では到底経験できないことを多くのよそ様が提供してくれる。それだからこそ社会って面白いのかもしれない。似たり寄ったりでは幅が無くおもしろみがない。ただいつもこのような喜び多い疑似体験ならいいのだが、えてしてその逆が多い。そう言ったものとは距離をとる特技も必要だ。こちらのほうが寧ろ僕は苦手なのだが、最近は余力の無さを理由に勇気を持って撤退することにしている。「なんにもしないことが、なんかすることと同じだったりする」友部正人のこのフレーズが最近頭の中を駆けめぐる。  早速、無地のTシャツを買ってこよう。今度漢方薬を取りに来たら背中にサインをしてもらわなければ。そう言えば女子アナになったら取材に来てねとお願いしていたな。タイトルは僕が決める約束だった。その時挙がった候補が「イケメン薬剤師」いやいや「雅治似の薬剤師」いやいや「漢方の達人」いやいや「匠」「神の手」「猫の手」「熊手」「やめて」・・・