米原

玉野市でセミプロと言われている人達のフォークグループのコンサートの幕の間、次のステージのセッティングが行われている間と言う条件で昨日玉野カトリック教会で歌わせてもらった。教会で役員の方が持っているスケジュール表を見た時に、わざわざ5分、連絡済みというメモまであり、ほとんどその時点で僕の気持ちは盛り下がり始めていた。とどめを刺されたのは、ここで歌って欲しいと見せられた会場のセットの絵で、舞台の袖、観客から言うとほとんど横向きに近く、マイクは1本、それもミサの時に朗読用に使うごく普通のマイクだ。これでとどめを刺され僕の歌いたかった心は完全に萎えて、どう言って帰ってやろうかと考えていた。オバマ大統領と会わなければならないとか、石川遼君とバレーボールをするとか、福山雅治と演歌の共演をするとか。ところがこんな時に抜群の力を発揮してくれるのが、伴奏をお願いしていた鍼の先生なのだ。彼の特技は、何時何処でも歌えるってこと。どんな悪条件でも歌える才能は目を見はるものがある。ここで出ていって歌うの?何回もそんな場面を目撃しているし、武勇伝は数え切れない。彼が、僕がミサの時に歌っている声を聞いて「大和さんの声ならマイクなしでいける」と言ってくれたのだ。  ただ、フォークグループの人達が演奏を始めて、いやその前のリハーサルの時から僕には分かっていた。彼らは本当に音楽が好きな人達なのだと。ずいぶんと長いキャリアを有し、PAまでも本格的だった。この人達なら僕をあの絵のままの条件では歌わせないだろうと。案の定、僕が舞台(当然袖には行かなかった)に立つと丁寧にマイクを設定してくれた。もしあのまま僕が舞台の袖でほとんどマイクなしで歌ったら、僕よりも彼らの方が傷付いていただろう。彼らは恐らくこれからもずっと歌い続けるグループだから心の隅にその光景はいつまでも残ってしまうだろう。彼らはその一瞬、僕を歌の仲間だと思ってくれたのだ。  僕は1週間前に歌わせてもらえることになって教会に2人連れて行きたいと思った。伴奏をその時急遽お願いした鍼の先生と、聴き手としての特異な才能を持っている自称織田裕二だ。鍼の先生は今でもひつこく僕が歌うことを誘ってくれる人で、常に断り続けている。こういった機会に歌うことになったことで彼にたいして免罪符をもらうという意味もあったし、僕よりも彼のグループの方が適しているのではないかという目論見もあったのだ。オーちゃんバンドというグループの演奏を今年の連休中に新見の城山公園の野外コンサートで初めて聴いて、直立不動でリードギターを弾いている青年の姿が印象的だった。静かな序曲を破る突然のドラムも印象的だった。バンドを経験したことがない僕は、ああ、みんなで演奏するって楽しんだと印象づけられた体験だった。オリジナル曲を作って聴き手に訴えようとする気持ちも伝わってくる。彼らこそ僕よりも適しているのではないかと思ったので、リーダーの彼を誘ったのだ。  もう1人の織田裕二は僕の幼なじみなのだが、身から出た錆で「自分でも定年前にこんなに不幸になるとは思っていなかった」と言うほどの落ちぶれを経験した人で、いやまだ継続中だが、聴き手としての場数は相当なもので、恐らく彼の吐き出す言葉の断片に、当日のコンサートの真価が隠れていると思ったのだ。それと自ら招いたとは言え不遇の身に、少しでも楽しい時間を過ごしてもらいたかったという幼なじみとしての想いもあった。  最初の1曲目を歌いギターと譜面台を持って席に帰るとき、Yさんが僕の身体にタッチしてくれた。奥さんは小さな声でよかったよと言ってくれた。教会の玄関で朝会った時、Yさんの奥さんが「今日、大和さんの歌を楽しみにしているわよ」と声をかけてくれたのだが、どうもその声が心配してくれているように聞こえた。だから演奏後のその声かけは、「よくやったね」に聞こえた。実はハラハラしながら聞いてくれていたのかもしれない。恐らくフォークグループの上手な演奏の後だから、誰か引き留めてあげたら・・・くらいに心配してくれていたのではないか。  来日して7年目のキム神父様が「まるで物語のようでしたね」と評価してくださったのも嬉しかった。青春のある日、寒いプラットホームで電車を待っている時に湧いてきた詩 とメロディーをアパートに帰ってすぐ書き留めて出来た歌なのだが、僕の青春の模様を投影しているものだ。一言一句聴いてくださった事に驚いたし、たかが素人の歌でさえすべて受け止めてくださる真摯さにあらためて脱帽した。  Kさんは「風の中に捨てる町」というフレーズがいいと言ってくれた。恐らく同時代を生きてきた人共通の感慨があったのかもしれない。誰もがそれぞれ固有の歳月を生きてきて、多くの想いを抱いて今を生きている。言葉に出来るものや言葉に出せないものを一杯抱えて生きている。接点のない接点こそが教会そのものなのだと思った。

                     米原             大和 タケル

① 冬の風に  ロングスカートを  もてあそばれて 女がひとり  プラットホームに  立っています やつれた顔で  曇り空を  ながめている ほほを伝う  涙さえも  こおりついているみたい 一人旅は  恋に破れた  女の悲しい子守歌 かたいちぎりは  心の傷跡  もう恋などしないだろ ② 今にも雪が  琵琶湖を越えて  降ってきそう 女はこごえた手に  白い息を  空しくはきかける 遠く聞こえる  汽笛はきっと  貨物列車 北国行きの  汽車はまだまだ  来そうにないよ 冷たく延びた  レールの向こうに  きみを慰める 優しい町の  優しい人が  きみに見えるのかい おーここは米原  誰もが一度降り立ち   昨日までの 想い出を  風の中に捨てる町 ③ 2年前に  東へ向いて  僕はここに立っていた 何かが出来る  予感を胸に  コートの下で震えていた 頭の中を  空っぽにして  からだすりへらし あしあとさへ  残らない  日々を暮らしてきた 別れの涙を  流してくれる  人もいない 僕は今  西へ向いて  ホームに立っている ④ 早いたそがれが  山の駅に  やって来たとき 北国行きの  汽車の中に  女は消えていった いつかきっと  あの人も  再びここに降り立ち 変わらぬ町に  なぐさめられる  そんな自分をみるだろう 僕は下りの  電車に飛び乗り  窓にうつる 女と僕の  影を重ねて  タバコに火をつける おーここは米原  誰もが一度降り立ち   昨日までの 想い出を  風の中に捨てる町

 2曲目を歌った後には、KAさんやKIさんが近寄ってきて「よかったわよ」と言ってくれた。この世代の方々に僕の歌を聴いてもらったことがなかったから、その評価に驚いたし、ああ歌って良かったんだと思った。僕もまだ歌で何かを訴えても良いんだとも思った。漢方薬を覚えて、それが次第に人の役に立てるようになって、仕事にのめり込み、ほとんどギターを持ったり唄を歌ったりすることはなかった。青春の唯一の遺産みたいな「あの頃」を完全に封印していたが、たまには開封して人の迷惑にならないくらいに楽しんでも良いのだと思った。  初めて会う男性が「生活の柄を歌ってくれて有難う」と言ってくれた。そう言えば歌い始めるとすぐに拍手が聞こえた。聴き手の中にこの歌を知っている人がいてくれた事が嬉しかった。とてもその歌が好きらしい。僕もずいぶんとあの頃口ずさみ、悶々とした心を慰められていた。努力をしない事を棚に上げておいて社会を恨み、秩序を嫌悪していた。なにも求めないことで自分を慰めるしかなかったのだ。歌の内容までは落ちなかったが、何時そこまで落ちてもいいような破滅的な想いの誘惑にいつも晒されていた。歌で疑似体験することで多くの青年が救われたのではないか。「ああ、今日はこの人のために歌った」僕が歌う時にいつも考えるテーマなのだが、降って湧いた出会いに感謝したい。また、フォークグループの中で一際若く見えるボーカルの人からも「よかったですよ」と評価を受けたらしい。鍼の先生が後から教えてくれた。やはり歌仲間なのだと、セッティングを含め感謝したい。  玉野カトリック教会の最大の特徴は、キム神父様の説教のすばらしさと、それを陰になって手伝うおばちゃん達の自制的な献身だ。彼女たちが振る舞ったのは美味しいコーヒーやケーキだけではない。本来家庭や地域に残っておくべき思いやりだ。想いを致し、いたわる気持ちがお御堂の外にも溢れている。ごく普通の人達の心温まる非日常の日常こそが振る舞われたのだ。コンサートの間、駐車場で自転車を整理していたMさんがレースのカーテンの向こうにいた。  「牛窓の人は何でこんなに面白いの」と体を折って笑っていたMさん。教職だけでも大変だと思うのに、休日の教会学校の世話などで心も身体も疲労困憊だろう。牛窓の人が面白いのではなく、自称織田裕二が面白いだけなのだ。何しろ教会までの道中、運転が危険なくらい3人で笑いながら至福の時間を過ごしていたのだから。もし、心が疲れたら、彼をレンタルする。機関銃のように飛び出すギャグに張りつめた神経が一気に緩むのを保証する。時間100円もあれば十分かな。  島根県の秘境で心を休めたい人に自宅を提供しているGさんと鍼の先生が、オーちゃんバンドの島根でのライブを考えてみるらしい。突然歌わせてと出しゃばってしまったが、いい出会いもあった。何かの役に立てたなら幸いだ。足を引っ張った部分は、もう一曲どうしても教会の中で歌いたかった唄を我慢したことで許して欲しい。  最後に、「失敗したから食べて」と試作のクッキーを出してくれたKさんに感謝。あのギャグが聞ける雰囲気こそが教会の敷居をぐっと下げてくれているのだから。誰もが抱えている越えられない壁は、誰もが越えられる壁であって欲しい。 追伸 MIさん、青春時代を彷彿させるリズム感には驚き。「現代の年配者は20歳引き算した方が説明が付く」を証明しているようだった。

生活の柄  高田渡 1 歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで 草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです 歩き疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです 2 このごろは 眠れない おかをひいては 眠れない 夜空の下では 眠れない ゆり起こされては 眠れない 歩き 疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです 3 そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか 寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気に からかわれて 秋は 秋は 浮浪者のままでは 眠れない 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない 歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで 草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです