懸案

 地方の小さな教会に属していると、司教様と言うような肩書の神父様にお会いするチャンスはめったにない。今日4年ぶりに玉野教会に来られるというから、ミサを受けない手はない。おまけに聖書朗読を僕に指名してくださった玉野教会の役員の方の恩にも報わない手もない。お役に立てれるなら基本何でもする。逆にできないことは即効で断る。朗読くらいならお役に立てれる。女性優位の教会だから男の読み手は希少価値でもあるのだろう。
 普段接する神父様とは格段に衣装が違う。その時点ですでに圧倒されている。ただしキリスト教の神父様と言うのは総じて穏やかで親切で、理知的だ。特別司教様だからということはないが、やはりベテラン神父様だから、心象が僕らと近い。説教のテーマも、僕ですら若手に属しそうな教会信者さんたちにとって、いつか来る、人によってはすぐにでも来そうな内容だった。
 その説教の中で一番心に残った言葉が「死んで、神様を見てみたい」と言われたことだ。ある体調不良の時、死ぬことが脳裏をかすめたらしいが、死を恐怖ととらえるのではなく、そのタイミングでしか会えそうにない神様を見てみたいと言われたのだ。究極の好奇心だが、僕はその言葉がとても印象的だった。
 と言うのは、僕が死を好意的に受け入れる唯一のパターンが「母に会える」ことだ。自宅で世話をするのが危険にまで痴呆が進んだ状態で施設に入ってもらったのだが、施設に入ることは知らせずに施設に連れて行き、何が起こっているかも理解できない母を置いて逃げるように帰ってきた。
 その罪悪感から半年近く施設を訪ねて母に会うことが出来なかった。勇気を出して母に会いに行ったとき、母は表情一つ変えず厳しい顔をしていた。痴呆症のなせる業とわかっていても、それが僕に対する意図した表情に思えて仕方なかった。懺悔の気持ちは母が亡くなるまでの4年間、休日には必ず施設に僕を向かわせた。広いグラウンドに車いすのまま出て、何度も何度もグラウンドを回った。後ろから時々話しかけるが、4年間返事を聞くことはなかった。
 誰もが褒めてくれる素晴らしい母だったが、まるでロボットのように無機質になってしまった。現代の姥捨て山を演じてしまった罪悪感は、車いすを押しながら何度も口にした「ごめんね」では許されない。天国で再開したら、母はきっと痴呆が治っているだろうから、あの時の僕の仕打ちを理解し許してくれると思う。
 司教様の説教に共感した死ぬことを好意的に取れる時の僕の心境は、本来の優しくて知性的な母に心から謝ることが出来る期待感だ。その時僕は拭い去ることが出来ない懸案から解放される。

 

【山本太郎・れいわへの応援メッセージ!】島田雅彦氏(小説家)【 #参院選2022 】 - YouTube