生け花

 カレーライスをお代わりするなんていつの頃からだろう。美味しかったのか牛肉入りのカレーが珍しかったのか、ついお代わりをしてしまった。2杯目も充分な量が盛られていて一瞬戸惑ったが食べてみればすんなりとお腹に収まった。沢山の人と会話を楽しみながら食べた勢いか食べ終わった後ももたれた感じはしなかった。若いときの大食いの一瞬の復活劇だ。 何十人分も作ってくれた女性が僕が2杯も食べたのを見て、その後のコンサートで眠くなるよと言った。丁度その歌い手が僕の前を通っていたときだったので「あの美声を聴きながら眠くはならないよ」と答えたのだが、いざ始まってみると睡魔との戦いだった。良くは知らないのだが、世界中にアベマリアという曲はいくつもあって、その中の有名なものだけが耳に届いているらしい。その色々なアベマリアをソプラノ歌手が連続で披露してくれるのだが、歌っている言葉が何語か分からなくて、いや何語か分かっても内容が分からないから歌い手の熱意は僕の心の中には届かなかった。寧ろソプラノの響きは僕のお腹に届いて、果てしない睡魔を呼び起こした。胃を充血させて消化に全勢力を注いだから頭が虚血状態になったのか、歌声が心をリラックスさせていたのか分からないが、戦いは9勝1敗で睡魔が勝利した。  その1敗の時間、僕は(ある理由で最前列に腰掛けていたのだが)祭壇(その時は舞台にもなっていた)に飾られている生け花と至近距離で向かい合っていた。頭を上げて歌い手を見ればいいのだが、その姿勢だと僕が眠っているのがばれてしまうから、まるで聴き入っているかのように身体を前傾し居眠りしていたのだが、懸命に瞼を開いた瞬間には常にその生花があった。単なる結果論だが、僕の人生でこんなに生けられた花を見続けたことはない。目の前にあったから見ていただけなのだが、結構綺麗なものだと思った。真ん中に数本の赤いバラが咲き誇っている。その両脇には純白の水仙と凛と延びたつぼみが位置し、可憐なミモザの黄とかすみ草の白が全体を縁取りし、まるで突如空間にキャンパスが現れたような感じだった。片や咲き誇る勇姿と片やけなげに咲く命のコントラストが興味深かった。  まるで不真面目な聴き手ではあったが熱唱を子守歌に何も考えない何も作らない弛緩した時間を過ごさせてもらった。ためらいがちに降った雨は満腹の空から落ちてきた安堵の雫なのかもしれない。

追記 花の名前は百合以外分からなかったから生けられた方に教えて頂いた。