寒波

 恐らく野球部の部費を稼ぐために全員でアルバイトに行ったのだと思う。夜を徹してベルトコンベアで流れてくるアイスクリームをただひたすら箱詰めする作業だった。最初は一つずつつまんで箱に詰めていたが、そのうちすべての指間にアイスクリームを挟めるようになったから能率はすこぶる上がった。8個のアイスクリームを瞬く間に集めることが出来た。 眠らせまいとして深夜放送のボリュームを一杯上げて流された。アイスクリームは好きだけれど、一つごまかして食べてやろうとさえ思わなかった。ただひたすら流れてくる物でしかなかった。夜の3時頃30分くらいの休憩時間がもらえた。その時間にはタバコを吸って眠気をごまかしていた。  ある夜、その休憩時間にみんなで仮眠をした。勿論僕たちは仮眠のつもりなのだが、全員が熟睡してしまった。当然30分後に誰一人工場には戻れなかった。どのくらい寝たのか記憶にないが、夜があけて帰ろうとしていると偉い人が日本酒を1本持ってきて、明日からは全員来なくていいと言われた。 学生だし若いから、徹夜なんてどうってことないと思っていたが、さすがに連日だともたなかった。その頃僕は初めて立ったまま寝ることが出来ることを知った。勿論電車だから少なくとも何かにもたれていたのだと思うのだが、それでも立ったまま寝ていた。そして目が覚めたときに、立ったまま寝れるって事実に衝撃を受けたことを覚えている。その日名鉄電車から眺めた景色や目が覚めたときの電車の中の光景まで鮮明に覚えている。余程印象深い体験だったのだろう。 僕たちはいずれ薬剤師になり様々な職場に迎えられることは当然すぎることだった。だから就職に関しては誰もが深刻には悩まなかった。徹夜でアルバイトをするのも、所詮その時だけだ。学生時代だけという条件付きなら何でも出来た。でもそれから数十年経った今、当時学生がやっていたようなことを、立派な成人が、社会人がやっている。どうせ今だけと言い聞かせるものをもたずに、あてのない明日のために夢のない今日を消化している。  岡山県の大学卒の就職率が50%だとニュースが伝えていた。誰のせいかは分からないが、少なくとも本人達のせいではない。社会との接点、人との交わりは働くことで簡単に手に入る。もしその様な社会参加の手段を閉ざされれば、人との接点を失い孤立して生きなければならない。個が生きるための環境は整ってはいるが、心の中までは満たされまい。果てのない格差に憤りさえ覚えないのか、安穏とした歳が暮れる。予想される寒波に凍えるのは身体だけではないだろう。心の中まで凍り付いて歳が明けるわけがない。歳は暮れるものでも明けるものでもなく、ただただ流れているだけのものだ。