明らかに夜が明けるのも早くなったし、日が暮れるのも遅くなった。手袋を忘れたら取りに帰ろうと思わせる寒さも和らいだ。一歩ずつ春が近づいているのを実感する。何処に冬眠していたのか、いつものセルフのうどん店もスーパーマーケットも人で一杯だった。行き交う車も多かったように思うし、湖面で遊ぶ水鳥も多かったように思う。一筋の飛行機雲も緊張を忘れてだらしなく春を待っていた。  「家に引きこもってる時は大嫌いな季節でしたが・・・・」僕の大切な人からのメールの中の一文。偶然僕をインターネットの中から見つけてくれてもう随分のつき合いになる。こんな人が社会との接点を失い生きていくことは、大きな損失だと思った。勿論彼女だけではなく、多くの同じような境遇の人と漢方薬を媒体に知り合った。素晴らしい青年、壮年の人達ばかりだ。冬しか知らず、春が来ることがなかった人達にとって、人々が解放されて全身に陽光を浴びる姿は、彼らにとってまぶしすぎたのかもしれない。人並みの喜びが高嶺の花だったのだ。こんな理不尽があるだろうか。 今彼女は、嘗てまぶしすぎて目をそらせていた光の中で暮らしている。何気なく営まれている様々な暮らしが彼女を包んでいる。当たり前の朝が来て、当たり前の生活を送っているのだ。当たり前の喜びを得て、当たり前の苦労もしている。誰もが当然の権利として持っているものを、失ってはいけない。失わせてもいけない。春は消してはいけない季節なのだから。