助言

 お母さんとお嬢さんが一瞬びっくりしたようなので驚きすぎたかなと思ったけれど、嬉しいのだから喜ばないわけにはいかない。向こうは当然分かっていたことだが、僕にとっては初耳なので喜びが爆発的だったのかもしれない。 このご家族を4人お世話している。遠くから2週間毎来てくれるが、以前薬店に半端ではない暴利を長年に渡ってむさぼられていたから同業者として奮起せざるを得ない。あんな店があるからドラッグストアで薬を買っても同じだろうと言うことになるのだろうし、寧ろ高価なものを押し売りされないからドラッグストアの方がましだと言うことにもなるのだろう。幸運にも4人の方のかなりの症状を改善できている・・・と、薬剤師の仕事を懸命にさせてもらっているのだが、今日の朗報は息子さんが就職されたという内容だ。以前の職場でいやなことがあり、退職して家にいたのだが、ウツの薬や逆流性食道炎の薬を飲んでいた。こうして飲んでいる薬を上げられると明らかに病気なのだろうが、僕にはそうは見えなかった。能力のある方で特殊なお仕事をされているから、人間関係で悩んでも不思議ではない。その結果精神的、身体的な不調が現れたのだろうが、本当に必要だったのは薬ではなく助言だったのではないかと思っている。僕が作った漢方薬は、戦闘モードが身体に影響を及ぼしにくくするもので、現代薬のように頭の中に薬の成分が侵入できるものではない。いらぬ力が入らなくなるようにしただけだ。頑張る心や頑張る身体が少しだけ力を抜くと思わぬ健康が手にはいることがある。  いやな上司には「首を絞めたら」と言う僕の助言は最近影を潜めて「嫌みを言う上司はきっと家庭に不幸を抱えているよ。本当に幸せな人は他人に悪態をついたりしないよ。そんなことをする必要もないくらい精神が安定しているのだから」と助言している。結構この助言はあたっていて「向こうの方が大変でした」と言う報告を聞くことがある。精神が不安定な人ほど、自分の心のバランスを保つために他人に攻撃的になったり陰湿になるものだ。このことを理解しておけば、対処の仕方は自ずと分かる。余力があれば包み込むか、なければ哀れむだけでいい。 仕事がないとか、仕事に行けないとかで社会との接点を失うと病気は治りにくい。生活が保障されていることは病気を治す上でかなり重要な要素だ。生活基盤がなければ不安に押しつぶされるのではないか。あるいは自暴自棄になることも考えられる。せめて仕事で社会との接触が保たれていたら、精神的な孤立は免れる。病気は本来孤独なものだが孤立は避けなければならない。差し出す手も、差し伸べる手も同じ人の手なのだ。