格調

 我ながらよい助言が出来たと思う。その上結果が期待以上だったから、長年の主張に自信を持った。 僕より少し年上の奥さんが、時々息苦しくなると言って相談に来た。胸を何かで締め付けられて、このまま死んでしまうのではないかと恐ろしくなるというのだ。当然病院で調べてもらったのだが、原因がないらしく何の治療もされないまま帰ってきた。病気ではないと言われても本人は毎日発作が起こるのだから、何の慰めにもならない。寧ろ薬が出なかった分、頼るものもなく不安がより一層増幅されただけだ。 こんな時の僕の格調高い助言はいつも「パチンコでもしたら」だ。「開店時間前に店の前で並んだら」ともよく付け加える。僕自身があの堕落した光景の一員だった数年間の自虐の想いでもある。およそそんなものとは縁のない真面目すぎるほどの奥さんなのだが、別に僕の助言を軽蔑することもなく、「そんなものしたことがないわ」とまるで想像通りの返事が返ってきた。  ところがだ、ところがだ、言ってみるものでその奥さんがなんと本当にパチンコに行ったのだ。さすがに一人では行けなくてご主人について来てもらったらしいが、予想通りパチンコに熱中している時間は発作が全く出なかったらしいのだ。本人は気がつかなかったが後でご主人が教えてくれたみたいだ。  その日を境に回復がずいぶんと早くなったみたいで、僕の立場としては漢方薬の力と言いたいが、本音の部分では嘗て僕がそうであったように、その奥さんも機械相手に夢中になって我を忘れたのだろう。あるべき姿、期待に無理して答えようとする姿がジワジワと自分の心を浸蝕してくる。ある日体力がなくなればその浸蝕に精神が耐えられなくなる。現代人にはよく訪れる危機だ。そうした危機を乗り越えるのは堕落に限る。落ちてしまえばずいぶんと楽になるものだ。そのうちいつか体力が回復すれば精神も自ずと冬眠から覚める。春を待てばいいのだ。パチンコ台に向かっていれば脳みそは春爛漫だ。高尚な教訓よりはるかに効果的だ。高尚な人の腹の底より、財布の底の方がはるかに誠実だ。   あの奥さんの頭の中にはその後、あの金属の玉が激しく行き交う音が鳴り響いているかもしれない。何も考えない無垢な時間を僕の格調高い僕の助言が与えることが出来た。