中毒

 もうこれで学校保健委員会に二度と呼ばれることはないだろう。  今年も始まった。父兄の代表と医師、歯科医師、栄養士の情報交換の場だ。といいながら話の密度はとても低くて、こんな会あってもなくてもいいようなものだ。ただ、学校としては帳面を消したいのだろう。こんな会より、教育現場への不当な介入を糾弾する会のほうがよほど価値がある。ところがそこまで身を挺して権力から子供を守る気概が今の教師集団にはない。  今日のテーマは、ソーシャルネットワークとの付き合い方と言うものだが、僕には助言できる資格がない。今のゲームを昔のパチンコに置き換えれば、一番危ない人間だったのだから。6年間パチンコ中毒状態で暮らしたが、良くぞ立ち直ったものだ。牛窓に帰って、偶然パチンコ屋が遠くにしかなかったことが幸いしたのだと思うが、自分の意思で何とかなるなど不可能なくらい脳みそは汚染されていた。そんな前科もちが親に説教できるわけがない。そしてこれは推測だが、親もそれなりに汚染されているのではないか。だから親自体も偉そうに言える権利はない。そこで僕が提案したのは、いっそのこと制限などせずに、とことんやらせたらどうかと言うものだった。現代で、多くの成り上がり者はコンピューターお宅ではないか。コンピューターを駆使できる人間が起業して大成功を収めているように思う。だから賭けてみればいいと提案した。あわよくば大金持ちの親になり、あわよくばネットお宅の親になる。  何十万人ものブレインが、日夜子供や青年、いやいや壮年老人までをも中毒にしてお金を巻き上げようと虎視眈々と狙っているのだから、親が子供を守れるわけがない。勝負はもうとっくについているのだ。どうせならいっそのこと博打に出る、これが僕が提案したスタンスだ。まあ、1日6時間、6年間毎日パチンコ台とにらめっこして薬剤師になれたのだから、父兄に自信は与えることは出来ただろう。