なかなか僕の先見の明もたいしたものだ。大学教授をしのいだことになる。まして全く専門外だから自信を持ってしまう。 今日から恒例の学校保健委員会が始まった。3つの小学校と1つの中学校を回ることになる。そして今日の西小学校が皮切りだ。テーマは保健の先生が決めていてくれ、僕らはちょっとした助言をする。学校ごとに割り振られた医師と歯科医師と薬剤師が出かけることになる。 この数年決まってテーマに取り上げられるのは、メディアとの付き合い方だ。テレビなどが嘗ては中心のテーマだったが、今ではスマホなどが父兄にとっては最大の関心ごとだ。すでに小学生から親は苦心しているみたいだ。そして中学校ではお手上げになり、高校では野放しだろう。 僕は助言を求められても、まともに答えるだけのものを持っていない。そもそも携帯電話さえ持ったことがないのだからピンと来ないのだ。ただ、毎年毎年同じテーマで解決策を話し合わなければならないのを気の毒に思う。僕らの子育ての頃にはこんなことに苦心することはなかった。全く余分なストレスだ。そこで僕は常にもう勝負はついていると訴えてきた。何故なら、多くの優秀な頭脳を集め、多くの金をかけて彼らはユーザーと言う消費者を懸命に増やしているのだ。できるだけ中毒まで持っていって、ヘビーユーザーにするのが目的だ。それがかなえば、多くの報酬を得るのだから彼らは必死だ。知恵もいっぱい出てくるだろう。仮にそうした社員に小学生の子がいたとしても、やはり懸命に知恵を絞るだろう。わが子が中毒になって四六時中スマホを握り締めていて耐えられないとしても、彼らは作品を作り続けるだろう。そんな集団に、父兄が勝てるわけがない。子供は、いや大人でもそうだが、楽しいことが一杯の世界から逃れるのはかなり難しい。最大公約数みたいな解決方法はない。「勝負あった!」毎年僕はそういい続けて来た。 今日の会合の冒頭、教頭先生が挨拶をした。その時に披露してくれたのが、講演に来られたある大学教授の話だ。メディアについて講演されたみたいだが、その先生が、今回でもうその種のテーマの講演は最後にすると言われたらしい。理由は、もうどうしようもないところまで来てしまったと言う事らしい。その話を聞いて僕は「遅い」と思った。僕は数年前にはその結論に達し、分かった振りをして助言などをすることをやめた。勝負はついているという結論だけをいい、各親がどのくらいの覚悟を持つか、そのきっかけになればいいと思っていた。 同じ判断を下したのだが、明らかに僕のほうが早い。ただし、僕のは直感でしかない。その辺りが大学教授とは雲泥の差だ。あの単純なパチンコで青春の多くを無駄にした半世紀前、僕も勝負はついていた。中毒を逆手にとってパチプロになっていればよかった。そうしたら今頃は・・・・どこかで野垂れ死ににあっていただろう。