ギャンブル依存症

 何枚か重なっているチラシに「のめり込まないで」という言葉を見つけ、そのチラシを1枚引き出してみた。興味深いキャッチコピーで、僕が一本釣りされた第一号かもしれない。  なかなか魅力的なキャッチコピーだが、そのチラシはパチンコ屋さんのものだった。パチンコの広告の隅にさっきの言葉が書かれていた。その下にはパチンコの全国組織の名前、遊技場何とかと書いていた。パチンコ協会が昨今のギャンブル中毒の圧力をかわすために入れたキャッチコピーだろう。無理やりというか、心にもないことをというか、複雑だった。と言うのはまさに45年前から6年間、誰よりものめりこんだ人間だったから。  のめりこむことに関しての評価は2分される。ノーベル賞をもらった科学者たちは、のめりこむ環境があったことをほとんどの人が感謝している。学問だけでなく、芸術や音楽やスポーツなどの多くの偉業もまた、のめりこんだ人たちの結果だ。  翻って僕ら凡人は、哀しいかな、のめりこむ対象がまったく非生産的だ。何かを作り出すためにのめりこむのではなく、のめりこんだ挙句失うことのほうばかりだ。今日のテーマのパチンコはその筆頭かもしれない。ばくちはもとより、酒、遊び全般、男女関係、政治、マネーゲーム・・・  ただし世の中の経済のほとんどの部分がこの「のめりこみ」の恩恵を受けている。こののめりこみがなければ経済規模はもっともっと小さいだろう。車にのめりこみ高級車を買い、家にのめり込みリフォームを繰り返し、旅にのめりこみ、健康食品にのめりこみ、美容にのめりこみ、食にのめりこみ、ファッションにのめりこみ、タレントの応援にのめりこみ・・・世を挙げていかにのめりこみの人間を創造するかだ。企業も、商店も、あらゆる職業がのめりこみをいかに沢山作るか、日夜苦心している。  偶然だが今日、NHKでギャンブル依存症の番組を放映していた。新しい知見として、依存症の人は大脳があまり働いていないと言っていた。気持ちの問題ではなく明らかに病気らしい。どうりで僕は普通の人が4年で卒業する大学を5年もかかって卒業したはずだ。ちなみに僕が通っていた薬科大学は、当時まともに4年で卒業する人間は半分もいたかなあという印象を持っている。僕など1年遅れただけだから優秀なような印象を持っていたのだが。今日の知見によると僕の仲間は皆、大脳が働いていなかったんだ。学校に行くよりパチンコ屋に行った方が、同級生に良く会えたのだから。