初耳

 難しい本を仕方なく読んでいても思わぬ拾い物はある。今日の初耳の2つの言葉も大きな拾い物だ。  医師の悩み相談みたいな内容の雑誌を読んでいて「治らないのは誰かのせい。今まで自分にかかわった医師が悪い。看護師が悪い。薬が悪い。――と、いつも他人に責任を転嫁する人がいます。この患者さんもそういった性格なのかもしれません」と言う書き出しの文章の中で、外罰欲求と内罰欲求と言う言葉を知った。知っている方もあるだろうけれど、人間は誰でも、「他の人が悪いのだ」と周囲を責める「外罰欲求」と、「自分が悪い。自分の不注意だ」と自分ばかりを責める「内罰欲求」の両方を持っているそうだ。一般的に大人は、やっかいな問題に対しては是々非々で臨み、ある時は他人が悪く、ある時は自分が悪いと分析判断し、相手が悪ければ謝罪を要求したり、逆に自分が悪ければ謝ったりしながら生きていると言うのだ。  自分を当てはめても、多くの患者さんを当てはめても、誰もが両方を持っているのは当たり前だ。ただどちらかに大いに偏っている人も時々見受けられる。僕がお世話している多くの過敏性腸症候群の方は、どちらかと言うと内罪欲求に傾く傾向がある。どうしてそこまで思うのと声をかけてあげたいくらい自分を責める。他者に何の迷惑もかけていないのに、自分だけが苦しいのに、自分を責める。その挙句、何かが生まれるのならまだいいが、生産性はない。自虐の螺旋階段をひたすら下りていく。  漢方薬だけで、その負の連鎖を食い止めることは出来ない。多くの言葉を借りて一つずつ障壁を取り除いていく作業と並行して行わなければならない。。氾濫した言葉の中にも心に届く言葉はまだ耳にするチャンスはある。そうした言葉の力と薬草の力で、外罪と内罪を正しく使い分ける術を学んで欲しい。