妻がえらく嬉しそうな顔をして配達から帰って来た。手には4つのキャベツが入った袋を持っていた。「やっと、牛窓産が出始めたわ」と言って、子供達と姪に一つずつ分けていた。いつも利用する農家の直売所で買ってきたらしい。何でも1個150円らしくて、僕にはそれが安いのか高いのか分からないが、それが問題ではなく、牛窓産が問題なのだ。「これでお好み焼きが出来るわ」「私もお好み焼きをしよう」と話がお好み焼きに発展したが、それが問題ではなく、今までお好み焼きをするためのキャベツが手に入らなかったことが問題なのだ。 キャベツが手に入らなかったなどと、不思議なことを言うと思うかもしれないが、厳密に「安心して食べられるキャベツが手に入らなかった」と言えば分かってもらえると思う。これは食べられるか食べられないかと言うことが問題ではなく、安心してと言う一番大切なことを問題にしているのだ。 今まで妻がキャベツを買わなかったのは、店頭に並べられているのがほとんど関東産だったからだ。福島の原発事故?事件?以降、静岡県から新潟県ラインの東側のものは原則として口にしないことにしている。だから今回のキャベツの件のように多少の不都合はあるかもしれないが、放射能に汚染されている可能性のあるものを口にする勇気はない。勿論検査で放射能が「検出されず」が多いのだろうが、検出されずと「限りなくゼロに近い」は異なる。今回の事故でより鮮明になったことは、国や学者はほとんどが企業の味方で、国民が被爆しようが死のうが問題にならないってことだ。唯一企業の儲けが減らないこと、それが関心ごとなのだ。だから都合の悪い数字は出さないし、都合が悪いことは風評被害などと都合のいい言葉を使う。自分達が犯した死刑に匹敵する罪など簡単にないものにしてしまった。国の機関が全て企業家の為にあるのだから、赤子の手をひねるより簡単だったろう。 世の中では、あたかも放射能について気にしなくてよいがごとくに情報操作されているが、その手に乗って健康を害することに甘んじるほど僕は勇敢ではない。ただでさえ強靭な肉体を持っていないのだから、少しでも害されると日常が地獄に変る。そんな被害者にはなりたくない。偶然、西に暮らしていただけで直撃は免れたが、巡り巡っての被爆は避けられない。加害者がより豊かに、被害者がより隷属する、こんな理不尽がまかり通る国に僕らは住んでいるのだ。 「ももっ、ももっ・・・」若い女性達が円いテーブルを囲んで体を揺らしながら手を叩いている。そこで敢えて山梨県産とナレーションが入る。あたかも山梨県産だったらいいと言いたいのだろうが、我が家ではその瞬間から絶対その飲み物は飲んではいけないリストに入った。 罪を償わなくても良い犯罪から、捜査されない犯罪から懸命に身を守っている西日本に住む住人は沢山いる。