造語

 田舎の薬局だから、農家の方が多く来られる。長年よく働いているから腰は曲がり、足はO脚になり、肩や首が痛い方も多い。各々が一つの症状だけを持っていることは少なくて、腰が悪い人は首が、首が悪い人は腰が悪いのがほとんどだ。ただ何故か知らないがそれらが同時に痛むことは少なくて、痛む場所が交代するのが常だ。 「コビ」この言葉が飛び出したのは、農家の方と話しているときではなく、都市部に住む若い女性と電話で話をしているときだった。話の内容は、その方のお父さんの症状を尋ねているときで、主訴のしびれは首から来ているだろうと言う予想の元で、腰の状態を尋ねようとして突然に出た言葉なのだ。僕としては経験上、首が悪ければ腰も悪いだろうという、首と腰はほとんどセットだから、反射的に尋ねたものだ。別に焦っていたわけではないが、何故か二つの単語を一つにまとめて発音してしまった。ただその時女性とも話したのだが、ひょうたんから駒で、ひょっとしたらとても重宝な造語になるかもしれない。「コビ」と言うだけで腰と首の両方を一つの単語で表されるとしたら便利だ。問診の時「コビの状態はどうですか?」と尋ねると「はいコビは3年前から調子が悪いです」なんて簡潔に答えられる。田舎の薬局から新しい言葉が生まれ、インターネットで広まり、いずれは広辞苑に収載される。「コビ・・腰首」 アイルランドの氷河の下に廃棄される放射性物質の管理で問題になっていることに、言葉の問題がある。これから数百万年もの後にどんな言葉が使われているかなど誰も想像できない。僅か2000年前のことだって分からないことだらけなのに、数百万年後に触るな危険と言うことを伝えられる言葉を誰も知らないのだ。僕が作った言葉でさえひょっとしたら広まるかもしれないのに、数百万年もの間にどれだけの言語が生まれたり消えたりするだろう。想像も出来ない将来にまで危険をばらまいた奴らがまだ犯罪者の烙印を押されていない。生産者ばかりが保護されて、消費者はあたかも被害者ではないように扱われている。命を縮めるのは消費者だろう。消費者はいつまで「腰首」いや「媚び」ばっかり売っているのだろう。