3拍子

「つくづく健康が有り難いです。元気なのが一番幸せ」と言いながら2週間ごとに漢方薬を取りに来るのだから、こちらとしてはまだ健康ではないと思っていたが、本人の評価は十分元気なのだ。どんな客観的な指標よりも本人の自覚が優先されていいと思う。検査で標準値に収まらなくても元気で仕事や日常の楽しみが出来ていたらそれでいい。逆に、検査値がすべて基準内に収まっていても不快症状が出ていたら何にもならない。健康とはいたって主観的なものなのだ。 僕より少しだけ年下だから、健康が一番を自覚できる年齢に達したのだろう。「ほんと、元気だったら何もいらないよね」と言う僕の投げかけに対して「私ら、顔も悪いし、頭も悪いから、せめて元気だけでもないとね」と謙遜な答えが返ってきた。すべてにこの女性は謙虚で、自分の持っているものをアピールするようなことはまずない。でもいつも笑顔が出るから言葉の通り自分を否定しているわけではない。顔も悪い、頭も悪いと言われたら返す言葉はないが、本質的に優しい僕は「心も悪いから3拍子そろっているではないの」と慰めてあげた。 ある公の機関の掃除婦として毎日一生懸命働いている彼女は、頑張りすぎて腱鞘炎になった。めまいも始まった。絞られるような便秘(表現が分からないではないが痙攣性便秘のこと)は若いときから。そのすべてが、今は3日分の漢方薬を2週間で飲んでいれば消えていてくれるらしい。だから本人にとっては元気で健康なのだ。僕としては薬が必要な間は完治させてあげていないから、そのおおらかな判定に感謝するばかりだ。2週間に一度その謙遜な笑顔に接し、少しばかりの言葉を交わす。数年前ある日突然やって来てからの繰り返される光景だが、つくづく人の縁を感じさせられる。縁が出来たら気の毒な職業の僕だが、冗談を言い合って治ってくれるのならいいだろう。難しい顔をして、深刻な顔をして値段をつり上げたりしたら、相手の目がつり上がってしまう。病気は出来れば笑いながら治したいものだ。