湯たんぽ

 ささやかでいいではないか。これ見よがしの連続にはもううんざりして食傷気味だ。善意も視線を集めるためなら汚れてしまう。善意など隠してしまって不器用でいいではないか。謙遜もこれ見よがしなら慇懃だ。頭より先に生理が拒絶してしまう。凡人に出来ることは所詮ささやかなこと。良い行いも、悪い行いも桁外れのことなど出来やしない。背伸びしたって何も変わりない。下手をすれば哀れみの視線を、いや軽蔑の視線を送られるだけだ。 ささやかを形容詞に頂くような生活に慰められていたのに、それが消えてしまって派手になってしまった。元々ささやかの中で暮らしていた人が場違いな状況を与えられると疲れ果てるか、舞い上がって自滅してしまうかだ。ささやかは所詮ささやかの中でしか暮らせないのだ。真水の中の魚が海で暮らそうとしているようなものだ。  無理はしないのがいい。無理に生産性があるとしたら病院のカルテに書き込まれる疾病の多さくらいだろう。努力は無理とは別物だ。無理は所詮逸脱でしかないのだ。たどり着かない旅人のようなものだ。努力には必ず余力が付き物だが、無理には後がない。後を残すのは恥ではなく生き上手なのだ。 ささやかでいいではないか。両手で溢れるほどの幸せも、冨も、実績もこの町を覆う空気のバケツ一杯分も作れやしない。いつかはすべてを返さなければならないのだから、求めないのがいい。空っぽな心に湯たんぽ一つ。