試行錯誤

 「お疲れ様です○○○○です。私なりにどんな時にパニックが出るのか向き合いながら過ごしていたのですが、多少ある運転への不安を強い自意識がより増幅させている事に気付き、それからは自分を受け止め自分に寄り添うように運転中を過ごしています。まだまだドキドキする時もあるのですが、どうしてそうなったのかを分析しては取り越し苦労なだけとわかったり、次の時に試したりいろいろと試行錯誤しています。以前のようなパニックが出なくなったので冷静に自分と向き合う事が出来たんだと思いますありがとうございます。パニックの薬はもう少し続けた方がよいのでしょうか?なんとなく、発作が出たとしても向き合い寄り添いながら過ごしていける気がするので、どのようなタイミングでやめたらよいのでしょうか?いつも大和さんの言葉に心がすーっと楽になります。心への処方薬みたいで、狭い世界で頑なになった思考が和らぎます。偶然か必然か、大和薬局に出会えることができて良かったです。」  最後の方は気恥ずかしいが、典型的な治り方をしているから紹介させてもらった。薄皮をはぐが如く改善し、気がついたら以前の自分を取り戻していたって事だろう。社会不安障害の効能も取れたという抗ウツ薬や安定剤を使わなくても心のトラブルは治ることが多い。体を強くする生薬で心まで解放されるのだから古人の知恵はすごい。ハーブ効果の最たるものだろうか。  それはさておき、こんな僕でも話し相手として評価してくれることはとても嬉しい。毎日多くの人に語りかけるから、沢山の言葉でもって返すことは出来ないけれど、板のように堅くなった首や肩をごまかしながら返事しているからと許して欲しい。思えば僕自身、年上の人に話をするとか、聞いてもらうかなどの経験は若い時には皆無だった。そもそも学校の先生が苦手だったから、又地域の行事にも参加しなかったから、年上の人などは接点がない。一人悩んで、一人いきがって、今思えば結構危うい青春だった。その後も会社や組織に属することもなかったから先輩と言える存在もなかった。ただ薬局に訪れてくれる人を相手に、世間話に花を咲かせていただけだ。心の奥までさらけ出して話をする相手は大学卒業後は結局一人も出来なかったが、逆にその必要もなかったのかもしれない。  今頃になって心の底の悲鳴を聞かせてくれる若者と多く知り合った。僕のあの頃のあげ損なった悲鳴に酷似している。だから僕はその悲鳴がかなり理解できる。ほとんどと形容していいかもしれない。手に取るように分かるのだ。僕はいつも言うように、カウンセラーのように癒す職業ではない。所詮薬剤師だから漢方薬で改善を図るのだが、同じ根っこのトラブルを味わったものとして、親近感を持って貰えるのだろうか。僕は同じ青春の落とし穴に落ちた人達全員に穴から這い出してもらいたい。そうでないと多くの能力が無駄になってしまう。誰もが必ず持っている能力が生かされないで封印されてはもったいない。 上記の便りのように、理性でもって客観的に自分を眺められるようになって欲しい。そのお手伝いならいくらでもする。ただひとつ、決して揚げ足はとらないと言う前提の元で。