連鎖

 「私も助けて貰ったから、今度は私が助けなければ」と、当初来た時より10歳くらい若返った女性がそう言った。助けるなんて言葉を聞くと東北の出来事のようだが、小さな田舎の薬局での、これ又小さな話題だ。だが、元々器が小さい僕達にはこの程度の美談?自己満足?でいい。それが似合っている。 彼女は一体何代目で、紹介してくれた人が何代目になるのだろう。とても興味深い連鎖で、このところの僕のモチベーションを保ってくれている人達だ。誰一人特別な人はいないごくごくありふれた善良な庶民の連鎖だ。 最初に来た女性はもう数年前になるがメールでの相談だった。当然僕は遠方の方だと思ってメール交換をして処方を決めたのだが、それでは薬をもらいに行きますと言ってものの数十分で現れたからとても印象に残っている。  これ以上不幸な人は見たことがないと言うくらい心も身体も傷ついていた。僕はもちろんだが家族揃って健康への再出発を手助けさせて貰った。人にとても臆病だった人が、それ故外出もままならなかった人が、今では人の世話をする仕事についている。その回復ぶりを見ていた親類の方が、僕の薬局を紹介されて、自分のめまいを治してくれと言ってやってきた。そのめまいが治ったのを見てそのお嬢さんが、嫁姑の家庭環境からパニックになるのを治してと言ってやってきた。段々と表情が明るくなるのを見て、友人が介護疲れから来るウツウツとした症状を治してと言ってきた。その方が完治して、何年も滅多に家から出られないパニック症状の友人を連れてきた。先月でパニックが完治して、一人で何処にでも運転して出かけられるようになったのが、今日の主役の人だ。こうして文章にしてみて初めて分かった。彼女は5代目だ。そして今治療が始まったばかりの人が6代目ということになる。 優しさの血統を絶やさないために、6代目の人も完治させてあげなければ。だからといってプレッシャーはない。誰も難病なんかではないのだから。優しすぎる心の持ち主が、ちょっと躓いただけなのだ。難しく考えなければ、そしてまるで冗談のように対処すれば必ず治る。