泣き所

 嘗てその道ではかなり有名だった人。今でも有名なのかもしれないが、僕がその道に興味がないから、その有名さは伝わってこない。でも有名なのには違いないから、その名声に相応しくないものを目撃してしまった時には落胆ぶりも殊更だ。 肩書きに君臨していた人の素顔がちょっとしたことで露呈して、評価を一瞬にして落としてしまうことはよくあることだが、このちょっとしたことの中にこそ、それは無防備だからこそ、本性が覗いてしまうことが多い。大きなことならごまかせるが、些細なことには気が回らないから油断が生じる。  その男性が会計をしようとして財布からお金を取り出したとき、一緒に小さな紙くず、と言うよりゴミと言った方がいいかもしれない、が出てきた。お金とゴミとを指先で分けて、お札だけ僕の方に渡したのだが、何を思ったか、そのゴミも後でわざわざ僕の方にさしだした。当然捨てておいてくださいと言うつもりなのだろうが、その言葉はなかった。誰でもその状況だと何を期待されているか分かるから、僕はそのゴミを受け取ってゴミ箱に捨てたが、何となくその嘗て有名だった老人の品性を疑った。こちらが全くその肩書きを尊敬していないから、何ら優位性はないのだが、恐らく僕の態度であちらもそれは感じているはずだが、無言でゴミくずを差し出す品性のなさに呆れた。何ら肩書きを持っていない田舎の老人達なら僕は喜んでそのゴミを受け取るが、本来的には強いものが嫌いな僕は、たったそれだけの出来事で肩書きに対して、ひいてはそんな人間をトップとして崇めていた組織さえも、評価を落とした。  何気ない動作に現れる素性は、編まれた後に発せられる幾多の言葉より雄弁だ。見かけも実際も粗雑に生きてきたから見破られるべきものは何もないが、その前に評価されるものもないところが僕ら庶民の泣き所だ。