口癖

 ほぼ2年間、熱心に2週間毎に通ってきてくれたから僕の口癖が移ったのかもしれないが「教えまくって下さい」と笑いながら言ってくれた。  僕の薬局人生で、生いたちやその後の境遇の過酷さで、この女性の右に出る人はいない。そのあげくがパニックをはじめとする超体調不良。詳細は嘗て書いたことがあるから繰り返しを避けるが、彼女が久し振りにやってきて、貴女と同じような人が一杯いるよと話した後に、上記のような言葉をもらった。私が治れば世の中の人は皆治るという症状の深刻さの自信、どん底の不幸を経験している人間だけが持てる他者に対する思いやり。恐らくその両方で言ってくれたのだろうが、僕にとっては嬉しい提案だ。勿論プライバシーがあるからほとんど「教えまくる」訳にはいかないが、こんなに症状が凄くても治るのかという良い例になる。  完治して1年以上たってわざわざやって来たのは、ヘルパーの仕事である家を訪問したときに、まさに窒息しそうなおじいさんを見つけて、動揺して又パニックが出そうだったと言うのだ。しかしその話を聞いて僕は心底嬉しかった。まず、電信柱数本分の距離しか家から出ることが出来なかった女性が、自分で車を運転して利用者の家々を訪問している。そこで危機一髪、老人を動揺しながらも救った。そして介護センターの社長の評価もすこぶる高い(僕の知り合いが社長をしていて、いい人を紹介してくれたと喜ばれている)。これだけの変身ぶりは、嘗てを知っていて、そこから脱出することを手伝わせて貰えた人間にとっては、何よりの喜びだ。  ここまで来れば、嘗てのおどおどとした視線はなく、優しい目をして話し相手を見つめながら話す。パニックの再発かと思っても、以前と同じ処方の漢方薬1服で解決つくのだ。この自信こそが「教えまくって下さい」になったのだ。  以来、第2、第3のその方が次々にやって来てくれている。漢方薬を作らせてもらうだけではなく、本にも劇にも詩にもならないけれど、個性豊かな愛おしい人生に触れることが出来る。誰もが気づかないままに優れた脚本家であり、俳優なのだ。