「そんな時こそ漢方薬じゃろう」  5,6年ぶりに同じ言葉を息子から聞いた。最初に聞いたのは、僕が極度の疲労に陥って、パニック症状を発症したときだ。血液検査などをして貰い身体的な原因がないと分かた後、彼が言った言葉だ。その時、僕自身のために考え出した漢方薬で、その後それこそ何百人に上るウツウツの人のお世話をさせて貰っている。  今回は僕の患者さんのことを相談した後に彼が発した言葉だ。あるトラブルをお世話させて貰っていたが、急に効果がなくなった。その原因を探るために送ってもらったある県の大学病院の検査結果を息子に見てもらったのだ。すると彼は、患者さんが心配するほど悪いトラブルではなく、もっとありふれたトラブルではないかと言った。絵を描いたりして詳しく説明してくれたが、専門的なことはさておいて僕はその結論だけを貰うことにした。「結果、どうしてあげればいいの?」と結論を求めた僕に冒頭の返事が返ってきたのだ。 久し振りに二人だけで話をした。コーヒー1杯でねばりながら、患者さんのことや、これが最も重要な話題だったのだが、彼の仕事ぶりなどについても色々情報を得た。嘗ては過酷な勤務で休ませてあげることばかり考えていたから、会って雑談をするようなことは控えていたが、今はまっとうな生活をしているらしくて、嘗ての疲れ切った表情はなかった。  こうして一人の患者さんについて意見を交換するのは、僕の願いでもあったが、昨日はそれにひとつおまけが付いた。「○○湯を飲ませてあげたら」と彼が言ったのだ。その処方を知っていたのも驚いたが、その処方がまんざらでもないことにも驚いた。普通の医者なら選択肢にあげない処方だ。ありきたりが苦手な親のDNAを受け継いでいるのだろうか。いわゆる損をするDNAなのだが。