僕のブログを、こんな方までが読んでくれているのだと言う経験を正月にした。  元旦に大阪から帰ってきた孫のアトピーをみてくれとある方に頼まれた。30分以上薬局のシャッターを1枚開けて応対した。その間に偶然通りかかった家族がいて、今とばかりに入って来た。お目当ては、娘夫婦が作っている風邪薬だったのだが、会計が終わった後、東京に住んでいるという女性が、「通りかかったとき、ホームページの写真と同じだからこの建物だとすぐ分かりました」と言った。そして僕のブログも読んでいると言ってくれた。その人と僕とは直接的な関係はない。ある方がめまいで相談に来られ、そのお嬢さんの嫁ぎ先の義母のお嬢さんだ。良くは分からないが、4つの段階を踏まなければ結びつかないと思う。親類の親類の親類のと選挙になったら関係が露わになるのと同じくらい、要は全く関係ないに等しい女性だ。その人が僕の文章を読んでくれていることがなんだか不思議だった。元々は、こんな田舎の薬局を信頼して漢方薬などを飲んでくれている人に、どんな人間が作っているか分かってもらいたいだけで書き始めたのだが、漢方薬で繋がっていない人も読んでくれているのだと知った。  他人に敢えて尋ねにくいことはいっぱいある。聞いてみればなんだと胸をなで下ろすようなことですら、自分の胸にしまっていれば不安材料になり、身も心も傷つけられることは日常茶飯事だ。一人思い悩み、青春を人生を良質のまま送れない人のために、実はこの程度なんだと露わにして、嘗ての僕の二の舞を多くの人に追体験して欲しくないと言う気持ちもある。あの当時失ったものがどれほどのものであったかは分からないが、ましてこの程度の人間が失ったというのだからそもそも大したことはないのだろうが、それでも塵も積もれば、大いなる損失だ。日本中の塵を集めれば大きな損失になるかもしれない。  内容を修飾しないで書くを心がけているから、僕はほとんど読んでもらったままの人間なのだが、どうも容姿を偽る傾向がある。果てしないコンプレックスのせいか、マチャ(最近ある患者さんに教えてもらった)に競り負けた悔しさか。