漁師

 「治ったら、町中にヤマト薬局で治ったと言いふらしてよ」と言っておいてもそんなことをしてくれた人はいない。「治ったらみんなに教えます」と言う人に限って教えた人もいない。前者は僕の冗談だし、後者は皆さんの単なる意気込みだ。どちらも期待していないし、仮に噂で相談に来たりしたら奇跡でも起こるのかと思ってしまうから、治療に真剣味がない。そんな人の多くは、2,3日飲んで効かなければ、もうそれで諦めてしまう。  でもこの人は違った。本当に自分の治った理由を公言したのだ。もっとも、その人がウツにかかっていたのは公然の秘密だったから、今更隠すこともなかったのかもしれないが、ハッキリ僕の名前を出したみたいだ。それも永久に二度とそんなところに行くことが出来るはずがないと本人も家族も町の人も思っていたスナックで、カラオケを歌いながら、酒を飲みながら僕の名前を出したらしい。常連のその人がスナックから消えて数年、待ちに待っていた復帰を喜んだカラオケ仲間が教えてくれた。 もう治ったと思うと本人が最後に言ってからの様子が分からなかったから、教えてくれたカラオケ仲間に感謝した。以前と変わらないよと教えてくれたが、こんなに人って回復力を持っているのだと僕自身もよい勉強になった。僕は決して専門家ではなく、人に親切な訳でもない。僕の祖父が漁協の前で鉄工所をやっていたせいで、幼いときから漁師たちの中で育ってきた。回りにいたのは漁師ばかりだった。小学校時代も学校が終わると漁協の桟橋で日が暮れるまで釣りをした。桟橋には漁から帰った漁船が絶え間なく横付けにされる。漁師の言葉を聞き、漁師の臭いをかぎ、漁師たちの価値観を学んだ。その事は一見僕のその後になにも貢献していないように見えるが、実は結構大きな影響を与えたのではないかと思っている。一見荒々しく見える彼らが、実はとてもシャイで人間が苦手で、荒い言葉を用いるが決して人を直接傷つけないことを学んだ。主題を直接的に語ることが苦手で、のらりくらりとそれでも何となく結論にたどり着く手法こそが、危険と隣り合わせで働いている人達の緊張の代償だと言うことも学んだ。  生活が、命も経済も保証されている人達が、合理性とか生産性とかを重視し、それが至上命題だとして他者に強要する陸(おが)の理屈とは明らかに異なっている。僕は、板1枚下が地獄の漁師たちの逆説に育てられてきた。陸(おが)の人達には通用しないかもしれないが、少なくとも僕の漢方薬を飲もうとしてくれている人のほとんどが、陸の漁師なのだ。幼いときに染みついた心の臭いは消えないし消したくもない。今の僕の治療法や会話の仕方を醸造してくれた、肩書きなど終生持つことのない気弱な荒くれたちに感謝。 「治ったら、言いふらしてよ」は、誰だって起こることだから回りを巻き込んで治ってねと言う僕の漁師的メッセージなのだ。