耳鳴り

 耳鳴りは難しい。ある漁師の息子さんが、父親の耳鳴りについて尋ねに来た。代理だから情報は少なく、僕に治療を頼んできたわけでもないので、ただ僕は話を聞いていただけだ。市立病院の分院に行ったが、内科しかなくて、岡山市の耳鼻科がある病院を紹介してくれたらしい。内科的には問題がないと言うことだった。紹介された耳鼻科で詳細に検査をしてくれたらしいが、その結果の答えがこうだ。「日本人の男性の平均寿命までもう5年くらいだから、耳鳴りぐらいする。老化だから仕方ない」仕事で疲れたら耳鳴りがひどくなるらしいから、仕事も辞めたらとも言われたらしい。耳鳴りを除けば健康には人一倍自信がある海の男が、こんな答えに満足するだろうか。海の上でたった一人で過ごす気力体力がある人間が、陸に上がって何をするのだろう。恐らく見る見るうちに、気力も体力もなくするだろう。  大学病院から派遣されている医師だったらしいが、病気が潜んでいないことを調べればそれで終わりなのだろうか。漁師にとって大切なことは今まで通り働くことではないのか。老化という言葉を出せば老人はみんな納得すると思っているのだろうか。僕は、なるべく老化とか、自律神経失調とか、アレルギーと言う言葉でごまかさないことにしている。それらの言葉は、使う方も使われる方も何となく納得してしまう魔力を持っている。何となく便利な言葉なのだ。僕らが使えば役に立てないことの免罪符に使える。  数日後、父親から電話がかかり、何とかしてくれと頼まれた。夜はゴーゴー耳が鳴って眠れないそうだ。非力ながら僕は処方を考えて息子さんにことづけた。どの程度役に立てれるか分からないが、漁師にはやはり海に出て欲しい。こんな当たり前の感情は、ごく普通の人と、ごく普通のつき合いが持てて初めて身に付くものだ。漁から帰ったすぐ後の漁師の服に染み付いた魚の臭いをかいだことがあれば、あの医師ももっと違った言葉を掛けてあげれてたのではないかと残念に思う。