敬意

 沢山の漁船が牛窓の沖に集まっている光景を見て、クミちゃんは込み上げるものがあったと教えてくれた。丁度薬を配達に行った病院が黒島を正面に見る位置にあるから、昨日から行方不明になっている漁師を捜す漁船の群れを見ることが出来たのだろう。海で誰かが事故を起こせば誰もが捜索に出るのは当たり前だが、海のことを知らないクミちゃんには感動的に見えたのだろう。  この辺りに限っての話だが、その漁師はとても人気があった。恐らく現代の価値観からすると何が評価されるのと思うかも知れないが、現代だからこそ彼の人となりは評価され、今日の捜索も多くの人が出た。一見厳つくて、実は人見知りで優しい。牛窓の漁師の気質を代表しているような人だった。薬局にも時々やってきていたが、口べたなのに話したがり、例によって、否定の否定で物事が進んでいく。  僕は今日彼が発見されるまであることを念じていた。出来るなら彼が脳梗塞とか心筋梗塞で突然亡くなっていて欲しかったのだ。苦しむ間もなく、さっきまで漁をしていて、まるで舞台俳優が舞台で亡くなりたいというのと同じ最期であって欲しかった。足を滑らせて海に落ちたり、網に引きずり込まれたりしていないことだけを願った。  ところがさっき薬を取りに来た若い漁師の話だと、残念ながら後者の方だった。ライフジャケットを着ていなかったことが悔やまれると青年は言った。ライフジャケット一つで命を無くさなくてもすんだことを聞いて僕は悔しかった。ライフジャケットと交換できるような人柄ではない。見かけや立ち居振る舞いからは想像できないくらいの優しさはこの町にとっても損失だ。  瀬戸内海の漁師は一人で沖に出ることが多い。今回のようなことを僕が牛窓に帰ってからもう何度か経験した。危険と正に隣り合わせの職業だから、それを忘れたいのか大風呂敷の話をよく聞いた。悪意があるのではない。恐怖を何かで紛らわせたいのだ。酒でもなにでもいいのだ。  僕の祖父が船の鉄工所をしていた関係で、幼いときから漁師が沢山出入りしていた。彼らに可愛がられた経験はない。そんなところまで不器用なのだ。ただ彼らの中で成長したから、魚の臭いと同じように言葉遣いや考え方も僕には染みついている。だから僕は漁師みたいな薬剤師なのだ。都会で通用する薬剤師ではない。否定の否定でしか話が進んでいかない不思議な会話が日常の町でのみ通用する薬剤師だ。  命をかけた漁師という仕事が本当に信頼や尊敬を集めているのか僕には分からない。1次産業にもっともっと敬意を払って欲しいといつも願うが、知的で綺麗であか抜けて、そして華やかな仕事にばかりスポットライトが当たり、富もそちらの方に偏る。生きていく上にもっとも大切なものであるはずなのに、敬意は払われない。寒い海の上で着ぶくれして、そのまま落ちれば老いた漁師は上がって来れない。都会で権力も富も手にしてぬくぬくと暮らしている奴らに老いた漁師が上げた魚は食わせたくない。