悲鳴

 「薬の量が多いから恥ずかしい、恥ずかしい」と言いながら服用している薬を見せてくれたのだが、本当に恥ずかしいのは処方している医師か、それに異を唱えない調剤薬局かもしれない。  正月明けに相談にきた親子が、現在服用中の薬を見せてくれた。相談の主なる目的が口の渇きの方は、全13種の薬の中、口の渇きの副作用がある薬が4種類ある。耳鼻咽喉科で唾液は十分出ているとの診断を受けているのに、漫然と内科と心療内科で薬が出ている。うつ病の薬も3種類飲んでいるが、険しい顔で入ってきたのに、1時間後に帰るときはとても自然な笑みをこぼしていた。  もう片方は、色々な訴えを持っているのに、痩せたいと言う。しかし薬を見てみると15種類の中安定剤や欝病薬が5種類も出ていたら、脂肪の代謝が悪くなって太るに決まっている。  「こりゃあ、なんぼなんでも多すぎるじゃろう」薬剤師の言葉ではないが、正直な僕の気持ちだ。これでは治しているのか悪化させているのか分からない。なるほど、飲んでいる本人はらちがあかないから相談にやってきたのだろうが、どの薬が必要でどの薬が不要なのか分からないのだろう。ただ恐らく医師も薬剤師もそれは分かっている。それだけの薬を医師も薬剤師も果たして自分の家族に飲ませることが出来るだろうか。余程の勇気がなければ家族には飲ませることが出来ないだろう。  昨年突然市民病院の分館の処方箋を受けてくれないかと頼まれたが、僕にとって(実際は若夫婦が全部作っているが)幸運だったことがある。医師が公務員だからかどうか分からないが、全く無駄な処方がないのだ。薬で利益を上げようとか人気をとろうとかの意図が働きにくい公立のメリットにとても救われている。調剤をしていて全く後ろめたさがない。公立病院の不要論も多く聞かれるが、意外とクールな処方が、製薬会社のいいなりのような薬の消費行動にブレーキをかけているのかもしれない。  100点以外は皆病気のように洗脳が進んでいる。あの手この手で、色々な業界が税金を狙っている。なけなしのお金を差し出して、健康まで持って行かれたらかなわない。薬を無毒化して排泄する臓器が悲鳴を上げている。