先輩

 お店を始めてからまだ25年なのですね。記憶が定かではないので、何となく高山に行って間もなく始めたような印象があります。と言うことは10年くらい高山で何か他のことをしていたことになりますね。僕が最後に訪れたときはお店を訪ねたと思うのですが。  そう言えば薬剤師をしていたのですよね。先輩にはメチャクチャ不釣り合いな大きな病院でしたっけ。その不釣り合いさを餌に、後輩達で面白おかしく語っていました。何十年も前の、決して日常に出ては来ない光景が少し、今僕の頭の中で復活しました。  アナログもここまで極めたりと、○○が言っていましたからまさかお店のホームページなどないだろうと思って、それでも先輩の顔でも載っていたらと思って検索してみたら、なんと動画付きで出て来るではありませんか。まさか先輩が作ったホームページではないでしょう。その筋に詳しい誰か助っ人がいるのでしょうね。  内容の評価は別として、ライブ映像が多かったですね。僕など典型ですが、才能もないのにただクールに好きだっただけなのに、よく初志貫徹していますね。そこが先輩の立派なところです。大いなる才能を持っていればその道もありでしょうが、その道のほとんど凡人レベルの人で、人生をかけてこだわれるのは、それこそ才能なのでしょうかね。もっとも嘗てのような緊張感はなく、脱力した生き方が出来ているからこそ、ずっと続けられているのかもしれませんが。  年賀状で「健康第一で乗り越えよう」とエールをくれていますが、健康第一は先輩には何となく似合いませんね。そうしたエールのやりとりをするような年齢に僕らが達したと言うことでしょうか。健康を犠牲にしても拘ろうとか、生活を犠牲にしても拘ろうが先輩には合っているように思います。又、「乗り越えよう」も分かりませんね。個人的には乗り越えなければならないものは寂しいけれどもうないのです。誰にでも簡単に乗り越えられる障害物レースしか参加資格はありません。乗り越えなければならないのは僕ら世代ではなく、一部の金持ちのために命まで差し出さされる、それは戦争だったり原発だったりしますが、そんな時代が再び来るかもしれない今、力を持っている奴らが作った障壁を乗り越えなければならない若者世代のことでしょうか。  何かが変わるかもしれないと万に一つでも期待していたあの頃よりも、何倍も窮屈な時代が来ようとしています。自分の首を絞めるのが得意な人達の道連れは御免です。せいぜい我慢できるとしたら靴擦れまでです。凡人が不器用に人生を精一杯歩んだ証として。  区切りをつけるのがとても難しい仕事を選んでしまいました。いつか又そちらを訪ねることもあると思います。その時は瞬時に又あの頃にタイムスリップしましょう。コード進行はAm Dm Am Em7 Am あたりでどうでしょう 。 大和