初盆

 酪農業を営んでいる男性が薬を取りに来たとき妻が応対した。9月に入っても猛暑日が続いているから当然挨拶は「毎日暑いですね」が定番だ。妻は相手の職業を知ってか知らないでか朝から晩まで繰り返している挨拶をしたまでのことだ。ところがその男性は「こう暑いから来年は初盆をしているかもしれん」と即座にひねりを加えた挨拶を返した。妻は最初どういう意味か分からなかったらしい。男性が帰ってから、この暑さで命を取られて、来年は初盆を迎える羽目になっているだろうということを言っていることに気がついたらしい。要は全国で続出している熱中症で自分も命を取られそうと言うことなのだろうが、全開で牛の体温を下げている大型扇風機を自分に向けたいくらいの重労働なのだろう。 でもこの初盆のひねりはなかなかのものだ。今日薬局に来てくれた人に早速教えてあげると一様に笑いを誘われていた。暑いですねと挨拶されて暑いですねと返すのでは芸がないと思っているのだろうが、なかなかの芸達者だ。たった一つの挨拶が、何人かの笑いを誘い交感神経の緊張をとってくれる。 この種の冗談は漁師が得意としているのだが、半農半漁の町では潮風は陸の上まで吹き上げている。えてして自然相手の人達は口が重く、はにかみ屋が多いのだが、直球を投げて相手を傷つけることを避ける術として変化球を多用する。そうした変化球に慣れないうちは会話に付いていくのがやっとなのだが、目をそらしながらぼそぼそと今日のヒットジョークのようなものを連発されるといとおしさすら感じる。他人とかかわることが得てていない人達の最大の防御服なのだ。  この夏、猛暑を表現した言葉はいっぱいあるのだろうが「初盆を迎える暑さ」に優るものはない。多くの形容詞がこの暑さに使われただろうが、僕の耳に残ったものはこれしかない。冷房が完備した部屋で、学業優秀の人達が繰り出す言葉に何ら心を動かされることはない。この暑い夏、せめて言葉に汗くらいは乗せてほしい。血までとは言わないから。