一丁上がり

 テレビのニュースを見ていて、ああ、僕ならあの漢方薬を使って、あんな会話をして治すことが出来るのになあと思った。ところが、余りにも高貴な方だから接点もないし、僕らみたいな下々を取り巻きが信用するはずもないから、所詮映像の向こうとこちら側でしかない。 それにしても雲の上の人達にも下々と同じような悩みがあるものだと、下々の人は驚いたのではないか。あるいは逆に安心したかもしれない。自分たちが世俗的な悩みで青春を一時期棒に振っても、大したことはない。マスコミは勿論、近所の人、近所の犬や猫でさえ気にもしてくれないから。心配もしてくれない、同情もしてくれない、軽蔑もない、空にのかっている雲みたいなもので、あろうが無かろうが、いようがいまいがほとんど気にもならないのだ。そんな存在感のなさってありがたいものだ。患うのも回復するのも、自分のペースでいい。ほどほどの手助けをしてもらって、ほどほどの回復さえすれば、ほどほどに世間には復帰できる。どうせその世間が大したことがないのだから、追いつくのも容易だ。  さっき船の上から電話があり「おならがよく出て困る」と言う相談を受けた。家族がいやがるというのだ。「おならが出たら気持ちがいいのではないの、すかっとして」と尋ねると「それは気持ちいいよ」と言う。はい、これで一丁上がり。病気でも、たたりでもない。気持ちのよいおならなら大歓迎だ。「出なくて苦しいのなら相談して」と言うと喜んでいた。  雲の上の人が苦しんでいるときに、おならだ、臭いだと不謹慎だ。僕ら下々は「銭こがねえ」とか、「白いまんまを食ってみてえ」とか、「村にはいられねえだ」とかがあっている。