徳島

 なんと、僕が毎日見て育った海を、最初は川かと思ったというのだ。なんて失礼なと気色ばむこともないのだが、なんだか身内をけなされたような気持ちに近いものがあった。こんなに僕が郷土愛を持っているなんて自分でも気がつかなかった。もっとも、その郷土愛もほんの数分も持たなかったのだから取ってつけたようなものではあるのだが。それにしてもさすが四国の人は豪快だ。太平洋の荒波を見て育っているから、鏡のように太陽を反射している瀬戸内海は、所詮川程度にしか見えなかったのだろう。まして牛窓の沖には多くの島があり、それが対岸に見えたのだろう。水平線しか見えない四国の人はさすがにスケールが違う。NHKの朝の連続ドラマ・ウエルカメの舞台の徳島県出身らしいが、徳島県でも瀬戸内に面しているところと、高知県に近いところでは全く違うと、何が違うのか分からない岡山の人間にはさっぱり分からない説明をしていた。言葉が違うのか、気候が違うのか、風土が違うのか、人情が違うのか、それこそ波の高さが違うのか。一人納得していたその人の方がどうやら僕より数段郷土愛を持っている。  もう20年にもなるだろうか、嘗て坂本龍馬も歩いただろう砂浜を家族で歩いたことがある。以来、子育てより仕事を優先してきたから、家族揃っての何かってのを全くしてこなかった。まれに見る子離れ親離れの速さで、未だ結局は仕事しかしていない。これから先も同じような日常を繰り返すしか脳はないみたいだが、豪快な一言をたまには決めて、徳島の人の鼻をあかしてやろうと思う。満濃池をうちの泉水とか、石鎚山を裏山とか、大歩危小歩危アルツハイマーとか。でもこれでは勝てそうにない。悔しいけれど、その人の飾り気のない実感の方がはるかに創作より優っているから。