夏が垂直にやってきたものだから、僕程度の体力では太刀打ちできない。日が昇れば途端に倦怠感が始まり、日が落ちれば途端に虚脱感に襲われる。基礎代謝ぎりぎりの省エネで暮らしているが、睡魔か気を失いそうなのか分からない感覚にしばしば襲われる。自然をそのまま受け入れて、自然のなすがままに身をゆだねて生活することをよしとしているが、この数年の夏を越えた夏には、気力だけでは太刀打ちできないし、そんなものもうとっくに無くしてしまっている。文明の利器に目が覚めれば頼り切っているが、その事に罪悪感すら感じなくなった。若さという武器を無くすると、夏はほとんど脅威になる。  昼間は暑くて畑には行っておれない。これは、朝早くやってくる農家の人達の言葉だ。さすがにこの暑さでは日中、太陽の下で働くことは出来ないのだろう、僕の所にくる頃には、もう一仕事終えているのだ。僕より二回り以上年上の人達の気力体力に圧倒される。 戦前、戦中、戦後と貧しさの中で懸命に生き抜いた人達だ。「米はなんきん、おかずは黄粉、牛や馬でもあるまいし・・」の世代なのだ。人生の終盤でやっと、豊かな社会のおこぼれに預かった人達だ。働いて、働いて、又働いた人達なのだ。  僕の幸運は、そんな人達が一杯いる町に帰ってきたことだ。ひ弱を申し訳ないと思う。色白を申し訳ないと思う。何ら生産できないことを申し訳ないと思うが、親しげに話しかけてくれるあの人達の、素朴な言動が好きだ。暑さを恨むわけではなく、寝てやり過ごす度量を顔に刻まれた深いしわが教えてくれる。