山水

 雪が話題にならないところの人にとっては、今日の慌てぶりは異様だろう。  こたつをして寝ていたのに、しんしんと冷える背中の違和感で目が覚めた。仕事が始まる頃カーテンを開けて理由が分かった。みぞれから雪に変わろうとしている空が町を凍らせていた。さすがに歩く人も自転車の人も通らない。勇気ある2輪車も通らない。スピードを落とし這うように進む通勤の車だけが渋々会社に向かっている。山も里も家々の屋根も色彩を放棄し、掛け軸に収まる山水の景色に変貌しつつあった。  かの町で、南の国から来た人達は喜んでいるだろう。いつか、目を凝らし、追いかけなければ手にすることが出来ないような雪を、みんなで声を掛け合って眺めていた。雪降りが話題になる僕らの町でも、会う人ごとに感想を述べあうのだから、かの国の人達にとっては僕らの比ではないだろう。日曜日に3人の若者と話をした。日本に技術の研修に来ているのだが、日曜日にどうしているのと尋ねたら、アパートでパソコンをしたり本を読んだりしていると言っていた。もう長い間その町に留まっているのに、ほとんど他の土地に行っていない。何かの制限があるのか、仕事で忙しいのか分からないが、もう少しこの国を見て欲しいと思った。いつか又来るチャンスがあるのかどうか分からないが、幼子のようにはしゃぎながら雪を見ている姿が僕には寂しそうに映った。  もっと南の国の若い女性達は完全に行動を制限されていた。原則としてこの小さな町から勝手に出ることは許されなかった。何処にも行けずに、安い賃金でそれでも一生懸命働いていた。けなげな集団生活ぶりに心を動かされよき隣人として振る舞ったが、もっともっとしてあげれることは多かったのではないかと、今でも悔やまれる。国に帰ってからの暮らしぶりを時々教えてくれたが、やがて連絡も絶えた。幸せに暮らしているならいいが、無駄な数年をこの国で過ごしてしまったのではないかと申し訳ないような気持ちに襲われる。  懸命にしがみついている屋根の雪が、氷になって落ちてくる。物知り顔の北風が明日の朝は凍るよと教えてくれる。もうとっくに凍り付いている僕の心はエアコンの目盛りをひたすら上げ続けている。