智頭町

 トンネルを抜けると同じ景色だった。その次のトンネルを抜けるとちょっと不安になってきた。その次のトンネルを抜けると、失望に変わった。その次のトンネルを抜けると後悔し始めた。その次のトンネルを抜けると山の陰になっているところにかすかに雪の跡を見つけた。その次のトンネルを抜けると初めて「そこは雪国だった」。胸をなでおろした。  さすがに中国山地を越えようとするのだからトンネルが多い。何故か知らないがトンネルの中を電車が走るときに大きな音がする。電車でトンネルを通るのは新幹線くらいだから、こんなに大きな音がすることを経験していない。それが普通か、それが異常か分からない。ただ、智頭に到着する前に随分と長いトンネルを通ったのだが、途中までは登り、途中から下りになったのには驚いた。体感だから正確ではないかもしれないが、あれは明らかにトンネルの中で勾配が変化した。珍しくて貴重な体験だった。  貴重な体験と言えば今日の体験の全てに感謝しなければならない。帰国するかの国の女性達がいなければ絶対経験しないことだった。この寒い時期に北へ行く。それもかの有名な豪雪で車がたち往生する常連の地、智頭町にわざわざ行くなんて。南の人間にとっては命がけみたいな場所だ。なんら雪に対して知識が無いから、漠然とした恐怖感がある。僕など比べものにならないくらい雪に関して無恥なかの国の女性達はなおさらだ。あまりの喜びでそこらじゅうを走り回ったりしたものなら、水路に落ちてあの世のほうに行ってしまう懸念がある。だからそこは通訳を介して何度も説明した。  智頭町の観光案内をするつもりは無いから、強烈な印象を持ったことについて書いてみたいと思う。一番興味深かったのは、町中に水路が張り巡らされていて、水が勢いよく音を立てて道路の下や側溝を流れていることだった。歩いていると道の下から大きな音がするので覗いてみると、勢い良くグレーチングの下を流れている。10日くらい前の豪雪が解けているのだろう、どの側溝も勢い良く低いほうに向かって流れている。町の中央を流れる大きな川に向かっているのがよく分かる。盆地だから側溝の勾配が手に取るように分かる。  もう1つは、町がひっそりとして人にほとんど会わなかったのに、確かな生活観に溢れていたってことだ。どんな産業に従事している人が多いのか分からないし、どういった特殊な職業の人がいるのか分からなかったが、町は人は明らかにそこで生きている。そこでしっかりと生活することによって、この国の空気を浄化している。山を守り田を守り、清流を守ることでどれだけこの国に貢献し、どれだけのこの国の人間の道徳の劣化に歯止めをかけているのだろうと思った。見ず知らずの僕達に向こうから自然な挨拶をしてくれたり、案内を買って出てくれたり、恩着せがましくない自然な交流が僕はもとより、かの国の若い女性達にも心地よかったみたいだ。  春には帰国し、恐らく2度と来ることはない女性たちに、いつまでも覚えてくれるかもしれない心のお土産を、かの地の風景と人情に頂いた。車窓に広がるあたり一面の白いキャンパスは、僕の晩年に与えられた大いなる惠だ。