墓石

 雪の中、朝早くから出かけ、冷たいところで用事を済ませたので、お昼過ぎには倦怠感と寒気で午後の勉強会が不安だった。あいにく車の中には薬を何も積んでいなかったので、薬局を探して、とりあえず症状を抑えておこうと思った。個人の薬局はどこも開いていなかったので、あるドラッグストアに入った。新しいとても大きな建物だった。とてつもなく広い店内にスタッフは、白衣を着た男性とエプロン姿の女性がいただけだった。二人ともカウンターのレジの所にいた。近寄って、「寒気がしてだるいんですけど」と訴えてみた。男性は僕の方を見もせずに、マイクに向かって素っ気ない声で「いらっしゃいませ」と繰り返しながら手元で何かしていた。いや、しているそぶりをしていたと言った方が正確だろう。問いかけられたので女性は、何とか答えようしたが、寒気と倦怠が何を象徴しているのか分からないみたいだった。そこで僕が「風邪でも引きかけているんでしょうか」と尋ねると、何か曖昧なことを言っていた。「早く症状を抑えておきたいんですけれど」「寒気だからカッコン湯がいいんですかね」などと、ヒント?を与えても結局はただうろたえていただけだった。  いずれ近いうちに、簡単な薬はどこででも売れるようになる。今まで規制が強く細心の注意を払って売っていたものの規制がかなりゆるめられる。誰が誰のために規制をゆるめるのか知らないが、同じ薬がある日を境に無害になり得るのだろうか。僕が帰るときにもただ下を向いて「いらっしゃいませ」を繰り返していた白衣の男性が哀れに思えた。薬剤師か薬種商か知らないが、恐らくプライドをかなぐり捨ててお金のために1日雇い主の方針に従っているのだろう。同業者として耐え難い光景だった。八百屋も肉屋も靴屋も呉服屋も、みんな潰れてスーパーのものになった。みんなが雇われる時代になった。生きていくお金を頂戴して、肉体や知恵だけでなく、自尊心や正義や礼節もみんなそっくり提供しなければならない時代になった。いったい残るのは何なのだろう。墓標に刻む名前だけか。いやいや、墓石一つ残せない時代になりつつある。