友情

 父親に連れられて来た男性に「おじちゃんが・・・」のように、おじちゃんを1人称にして話していて違和感を覚えた。苦痛に顔をゆがめ、言葉を発することが出来ない男性が幼く見えたのだろう。息子さんを心配する父親がまるで幼子を世話するようだったから幼く見えたのだろう。ふと気がついて処方箋の生年月日を見てみると僕と一回りくらいしか違わない。それでおじちゃんは失礼だ。そこから〇〇君に変えた。  精神の病気がどのくらい薬で改善するのか分かりにくい。日本は世界基準からいうと薬を飲ませる数が多すぎる。彼もまた精神病薬を6種類飲んでいる。それで効果が出ているかと言うと、なかなか分かりにくい。本人にも親にも尋ねてみたが分からないと言うし、むしろ薬を飲むとしんどいと言う。しんどいから又薬を飲む。悪循環だ。もう30年くらい飲んでいるから、薬に依存している。効かないけれど薬が切れると焦燥感で苦しむ。奇跡を求めて権威を渡り歩く。  大病院の先生って一体どんな治療をしてくれるのと尋ねてみた。診察室に入って、本人とは好きなスポーツの話をして、あとは父親に最近の症状を尋ねそれで終わり。その間3分くらいだと言っていた。ゆっくりとかみ締めるように話す彼と3分間でどれだけの症状変化を読み取れるのだろう。忍耐強く待たなければ次の言葉が出てこないのだから、僕はいつも1時間くらい彼のために時間を用意する。もちろん美味しい飲み物とスイーツも。  僕は運よく、権威に満ちていないし、牛窓弁だし、姿勢は悪いし、白衣は汚いから、思ったこと感じたことを素直に口に出せる。もう薬で治してもらうことに見切りをつけて、自然の力で改善してもらったらと提案した。折角牛窓みたいな田舎に住んでいるのだから、太陽の光を浴びて、風の音を聞き、虫や鳥が鳴く声に耳を傾け、畑に育つ野菜を眺め、砂浜を歩き海の中に立ってみたらと提案した。そしてわざわざタクシー代2万円と診察代を払うのだったら、そのお金で親子で温泉にでも行ったらと提案した。すると苦痛に満ちていた彼が口を開き始め、僕のギャグで笑い始めた。僕のギャグをここで書いたら権威筋からお叱りを受けるだろうが、治るどころかますます悪化をしている彼のためには、権威に遠慮はしない。ここが門前薬局でない強みで患者の側に立てる。  ちょっと漢方薬も作って飲んでもらったが、翌日御礼に来てくれた。息子さんが今朝、必ず口走っていた苦痛の言葉を口にしなかったらしい。薬剤師の実力や社会通念も知っている。しかしみすみす手助けできるのに介入しないのは不義理だ。医者の機嫌をとることがもっとも確実な収入の手段になっている今、漂流している患者さん達が頼りにするのが胡散臭い健康食品とやらでは薬局の存在意義はない。  「毎日話に来てもいいよ」と父子に言った。恐らくもっとも効くのは薬ではなく友情だと思っている。