つくし

 自分の力ではどうしようもない時、僕はこのお墓にやってくる。母方の祖父母が眠るお墓だ。段々畑のあぜ道を登っていくと、丁度山との境にある。お墓から先はもう道がなくて上がっては行けない。今日は、母を連れて1時間かけて車でやってきた。  母がお墓の掃除をしている間、僕は手持ち無沙汰になりその辺りを歩いてみた。今まで数十回は訪れているところだが、お墓に手を合わせ願い事をして帰るだけだった。半径10メートルくらいの小さな池があり、水が入れ替わらないのだろう、濁った緑色の水の中に倒木が数本浮かんでいた。母が幼い時、この池で泳いでいたと言うから驚く。恐らく当時は、この段々畑の最上段までお百姓の手が届いていて貴重な作物が作られていたのだろう。だから池も生きていたに違いない。今は恐らく魚も住めないだろう。そう言えば、去年の夏来たときには蛇が水面を横断していた。  今年は暖冬だったから、もうつくしが出ているのではないかと探してみたが未だ出ていなかった。このあたりはいくらでもつくしが生え、摘んで帰っては佃煮にして食べたものだ。幼い時から春休みにお墓参りしてはつくしを摘むのが楽しみだった。長期休みには必ずそのほとんどを母の里で過ごしていた。薬局も忙しく、子供も多かったから預けられたのかもしれないが、優しい祖父母やおばに大切にされ幸せに満ちた少年時代だったと思う。当時は半日かけて、何回もバスと渡し舟を乗り継いでやってきた。百姓屋の土間に入ると祖父母が必ず「よう来たな」と向かえてくれた。それは僕が青年になって、髪を腰まで伸ばしヒッピーのような姿で訪ねても変わることのない言葉だった。僕がどのように変化していっても、いつも変わらない深い愛情を注いでくれた。  遠くで、山鳩が喉に何かを詰まらせて鳴くような声がした。久しぶりの山鳩の声だ。一気に気温が上がり、身体も心も弛緩するような空気が谷間を抜ける。枯草を踏むと地面の温かさを感じる。いずれ土に返る。存在がなくなるって事はどう言うことなんだろうと考えた。山と段々畑と空と墓石しかないところで季節が交替しようとしていた。