墓掃除

 祖父母、両親が眠るお墓は、急な坂道を上がったところにあり、僕などは途中で息切れをしそうになる。膝が悪い人は上るのは無理で、法事なども待機組が何人も出るくらいだ。そんな坂道をその女性はすいすいと上がっていった。もう一人同じように若い女性は、ほんの少々僕の前を歩くだけなのに。
 正月休みで時間をもてあましていたから墓掃除に誘った。言葉が通じずに行ってみたら騙された・・・ではなく、身振り手振りでお墓と言うことを理解してもらったので、やる気満々でもあった。
 墓に着くと僕が持っていった熊手を「すいすい」の女性が取ると、すぐに落ち葉を集めだした。腰の入れ様や熊手を扱う姿がとても堂に入っていて、僕のおばを思い出した。おばは戦争未亡人で、母の里に幼い頃預けられていた僕はまるで母親のようにしてもらったのだが、僕の脳裏には毎日、夕暮れ時にもんぺ姿で田んぼから帰ってくる姿が焼きついている。いつも鍬を肩に担いでいた。
 「すいすい」女性の動きは僕には美しく見えた。実際は日本のお墓なのだが、僕はベトナムの農村の風景のように錯覚した。学生時代何度も口にした国の人たちの幻が僕の前に降臨したように思えた。急に僕が誘ったものだから、ほとんど着の身着のまま、ジャージ姿に会社で支給された厚手のジャンパーを羽織っただけと言う服装も、僕の想像を駆り立てたのかもしれない。
 あっという間に、お墓はきれいになった。持って行ったゴミ袋に集めた落ち葉をぎゅうぎゅうにつめ、それを肩に担いだ熊手にくくりつけると、一気に坂を下っていった。一見スリムだが、よく見ると太ももあたりは力強くてよく働いていたことをうかがわせる。後日通訳を介して尋ねると、毎日学校の後畑仕事を手伝っていたみたいだ。
 お互い退屈な休日を過ごしていたから、思いがけぬ先祖の供養ができたが、半世紀前に思い描いた風景を再現してくれたような感動があった。