先輩

 こんなに長く生きているのに、実は心を許せる友人はたった二人しかいない。友人と呼ぶのはふさわしくないかもしれない。正しく言えば先輩なのだ。二人とも大学の1年先輩で、一人は1歳年上で一人は同い年だ。彼らは二人とも留年したので、一時期は同級生だったが、僕も留年したので、結局もとの居心地の良い上下関係に戻った。  もっとも多感で、攻撃的で、孤独な時期をいつも群れて暮らした。僕の後輩達も二人を尊敬し慕っていたから、結構沢山の男達で群れていた。どんなことをやったかはちょっと公表できないが、色々なことを教えてもらった。悪いことは何一つ教えてもらわなかった。受験勉強から解放されてやっと勝ち取った自由を、白色のキャンパスに、色々な色彩を使って描いてくれた。その後の僕の生き方を決定つけてくれたのは二人だ。大学には昼ご飯を食べに行くだけの生活だったが、読むべき本を教えてもらい、パチンコで空になった頭に、難解な言葉を少しずつ積んで行った。薄暗い喫茶店の中で、夜は布団の中で読みまくった。  二人には又尊敬する先輩がいて、彼らから色々と教えてもらっていたみたいだ。その人達は僕にとってはすごく大人に思えて近寄ることすら恐ろしかった。会っても、ぎこちない自分がいただけだった。  僕らを近づけた要因はいろいろあるのだろうが、恐らく「強いものが嫌い」と言う点だと思う。卒業してからの身の処し方でもそれはよく分かり、3人とも組織の歯車にはなれなかった。外面的には落ちこぼれたのかもしれないが、自分自身からは落ちこぼれはしなかった。当時培った価値観を3人とも捨てないでいる。  もう、二人には10年は会ってはいないが、二人を超える関係を築ける人に出会ったことはない。いつでも会えば一瞬にして青春に戻れる二人を超える人には巡り会わない。二人に10代最後に出会えたことを幸せに思う。  残念ではあるが、体調不良をきっかけに僕に接触してくれる人達にとって、僕はあの二人の先輩みたいな存在であったらいいと思っている。勿論そんな事を意識して接しているわけではないが、横の関係しか築けない人達に、縦の関係をもたらせてあげれれば、少しは考え方に幅が出来るのではないかと思う。先週末、中部圏から数ヶ月ぶりにやって来た青年が、まるで息子が帰ってきたと同じような雰囲気ではいって来た時そんな事を感じた。「明日行きます」って感じでやってきていっぱい話をした。体調のことばかりではない。僕らが上の世代から頂いた生きる意義を少しでも次の世代に渡せられれば、誰かが捨てたタバコを拾って吸っていたあの頃の僕が報われるだろう。