点呼

 1年に1度、足を運ぶかどうかくらいだからあまり偉そうなことは言えないが、昨日行った散髪屋さんの挨拶?には閉口した。以前行っていた美容院もそうだったが、いちいち動作をはじめる前に、店内にいる全員が同じことを合唱する。思い出せるかどうか分からないが例をあげてみると「シャンプー入ります」いやいや、やっぱり思い出せない。読者のかたの方がよく知っていると思うが、全国チェーンの美容院のあたかも電車の出発前の点呼のような掛け声にずっと違和感を感じ続けていた。それが嫌で久しぶりに散髪屋さんに行ったのだが、真似ているのか、避けてきた美容院と同じようなことをやっていた。  ぼくはわざとらしい言葉や仕草が苦手だ。コンビニやスーパーで、顔も見ずに、抑揚のない言葉で「ありがとういございます」と言われるのも耐えられない。屈辱感にさいなまれる。僕は必ずレジの人に会釈をするが、その会釈の習慣がむなしくなる。こちらの顔も見ないで、数人のスタッフが大声を上げるのもまた僕には耐えられないのだ。わざとらしい言葉や態度なら、寧ろないほうがいい。少なくとも傷つけられることはないから。不快感は残るにしても。  目を見て話さない言葉に真実があるのだろうか。相手の反応を要求しないような人間関係があるのだろうか。生産性ばかりを要求された働き人たちは、言葉を凍らせ、心を凍らせ、社会を凍らせている。