卒業

 卒業して30年になるのに僕は今まで勘違いしていた。  今日、大学で同じアパートに住んでいた1学年下の後輩が、部下を連れて尋ねてきてくれた。広島に行った帰りに寄ってくれたらしい。漢方の会社に就職し学術畑を歩いている。実力からか年齢からか知らないがその部署のトップにいるのだろう。学生時代を一緒に過ごした人間とは一瞬にして当時にタイムスリップできる。言葉使い表情、すべてが当時に帰る。同行した若いセールスも側にいて惑ったに違いない。自分よりずいぶんと年上の二人がまるで学生のような空間を作りだしたのだから。  話はそれたが、会話の途中で同窓会のことが話題になった。途中で内容が充分伝わってこない感覚を受けた。彼の話をどう聞いていても彼と僕が同じ同窓会に出席するような内容なのだ。1学年上の僕が何故彼と同じ同窓会の案内をもらわなければならないのか。ひょっとしたら2学年が合同で開催するのかなどととんでもないことまで想像した。彼が言うには僕らは卒業するときは同級生だったらしい。それには全く気がつかなかった。なるほど僕は1年留年して遅れたが、彼も1年留年したはずだ。だから途中はさすがに同級生になったが出るときは又僕が先輩だったはずだ。そのことを正すと、なんと彼は4年で卒業できたらしい。これは全くの初耳だし、想像の域も越えている。なるほど僕は劣等生だったが、彼は僕に輪をかけたくらい劣等生のはずだ。それが何で4年で卒業できたのだろう。そのトリックを彼は教えてくれたが、さすがにそれは時効としても公表しないことにする。優秀でかつ有名な同窓生もいるから迷惑をかける。  不出来を競っても仕方ないが、出来具合を競うより余程罪がない。いくら頑張っても普通の人間が普通を越えることなんか出来ない。むしろ、気負いすぎるとその普通さえ失ってしまう。頑張りすぎなかったから、重圧に押しつぶされることはなかった。頑張りすぎなかったから、負けることを一杯経験し、それが大した意味を持たないことも悟った。頑張りすぎなかったから、頑張れない人の気持ちが少しは理解できるようになった。  頑張らないように頑張って。頑張って頑張って頑張らないような人に是非なってほしい。人生、そんなに頑張らなくたって捨てたものではないのだから。