同窓会

 出来れば見せて欲しくなかった。「ワシはどうでもいいんじゃけれど」と言いながら持ってきてくれた写真には、嘗ての面影もない人達ばかりが30人ほど並んで写っていた。面影がないからほとんどの人が分からずに、数人の牛窓在住の人達だけ分かった。それもそうだろう、長い人は40年近く会ってもいないのだから。中学校を卒業して僕は岡山市の下宿がら高校に通ったから、中学校までの顔しか基本的には覚えていない。子供から大人に変わる以前の顔なんて、その人を同定するのに何ら根拠にはなり得ない。 そもそも僕は同級生というものに郷愁を覚えない。だから同窓会なんてあり得ないし、日常気になる人を一杯持っているので、タイムスリップする時間ももったいない。写真を持ってきてくれた彼は「偶然手に入った」と言ったが偶然手に入るようなものではない。僕の所に持ってくる前に出席者の一人に名前を全部教えてもらってきているのだから準備は周到だ。照れ隠しに口から出てくる言葉とは裏腹な想いが透けて見える。ただ彼は警察のお世話になるようなことを最近してしまったから出ように出れないのだが、同窓生の暮らしぶりは気になったのだろう。僕は彼に「出れば良かったのに、出たら話題の中心になれるよ」と言った。すると彼も「惜しいことをしたなあ、出ていればヒーローだったのに」と返してきた。僕たちはこんな仲なのだ。僕とほとんど同じ頃牛窓に帰り、30年近く一緒に田舎生活を楽しんだ。彼のように会いたい人には必然的に会っていたから、何かにかこつけてと言うのは好きではない。  彼は御法度の裏街道を歩いてしまったから、恐らく根ほり葉ほり空白の時間を埋め合う会話には耐えられないのだろう。未練がましく集合写真を手に入れていたが、彼の犯したことで何を失うか想像がついていればブレーキもかかったのにと今頃後悔をしているだろうか。振り返ることで何かが生まれれば僕もそうすることにやぶさかではないが、まだまだ振り返る歳ではない。今日が何にもまして大切なのだ。昨日でもなく、明日でもなく、今日が大切なのだ。  それにしてもあの写真は同窓会の写真?って疑いたくなる。どうも写っているメンバーが僕よりずっと年上の人の集まりのように見える。と言うのはうぬぼれで、恐らくあの集合写真の中にいてもなんら違和感はないのだろう。客観的な判断基準をもらったようなもので、彼らを見た印象がそのまま僕に当てはまるはずなのだ。だから会には出ない、写真は見ないと言っていたのに。