働き人

 大きな会社のかなりのポストにある方の漢方薬を作った後、奥さんを含め雑談をした。そもそも僕の問診はほとんど雑談なのだが、難しい顔をして知識をひけらかせれば病気が治るものでもないし、そんなことをしたら僕の知識の無さが逆にばれてしまう。 その中で彼が面白いことを言った。嘗て職場があった静岡県では、毎朝海に浸かってから仕事に出かけていたのだそうだが、久々に訪ねたその海岸では、じっと海を見ているだけで体の中から黒いものが流れ落ちていくのが分かったのだそうだ。彼の言う黒いものとは鬱々とした心やストレスを指すものだと思うが、岡山に帰り部下を沢山持ってから悩まされ続けている心模様だ。僕はその心の世話を漢方薬でしているから、良く知っているのだが、行動的な彼が自身を忍耐を越えて制御しなければならない歯がゆさにいらだっているのだ。 「海を見ているだけでそんなに心が洗われるのだったら、瀬戸内海を見ていればいいじゃないの、ここから近いよ」と言うと、瀬戸内海ではだめならしい。内海だからだめなのかと思い「それなら日本海でもいいんだな?」と尋ねると日本海でもだめらしい。太平洋を眺めているときだけ、体から黒いものが出ていくのだそうだ。この差には当然興味が湧くから尋ねてみたが、その差を上手く彼自身も表現できなかった。  僕は海辺で育っているから格段海に興味を持つようなことはない。常にそこにあるもので特別なものではない。だから思い入れも全くない。瀬戸内海はもとより太平洋も日本海も見ているが、黒いものを捨てることが出来る太平洋独自の力を想像できない。瀬戸内海は多島美で必ず海の上には島があり、水平線も必ず島を背負っている。逆に太平洋は海の上には何もなく、立った一本の線で空と区別しているだけだ。僕ら凡人は、その線の向こうには何もないと感じるが、彼はその向こうに何があるのだろうと逆に想像をかき立てられるのだろうか。何もないところでは何も見ることが出来ない人と、何もないところに可能性や夢を見ることが出来る人と、同じ砂浜に腰をかけて海を見ていても、見えているものは全く違う。  部下も上司もいなくて自由気ままに仕事をしている僕が、数百人の部下を持つ彼の心の悩みをお世話するのも奇妙な気がするが、瀬戸内海も太平洋も日本海も塩辛ければ海くらいの定義しか持たない感受性の無さも、結構心を病まない防波堤になっているのだろうか。日がな一日海を眺めていれば心休まる彼と、彼の日常との乖離が現代の働き人を良く表している。