内海

 「我は海の子しらみの子」と高らかに歌ったのだが、間違っていたことがあるので訂正しておく。5月4日は丸亀おしろ祭りのために電車で出かけ、帰りの瀬大橋線が通行止めになったために急遽、高松港からフェリーに乗った。波がとても高く怖かったのだが、その時の文章に、船首を波に向けるためにジグザグに航跡が残っていたと書いたのだが、実際は、船はまっすぐに走っていたが、航跡が風に流されてまるで、ジグザグに走ったように見えたのだろうということだった。プロが言うのだから間違いはない。  買い物にやってきたのは前島フェリーのスタッフだ。4日に怖い目にあったと話しかけると、色々なことを教えてくれた。薬局の立ち話だけれどとても役に立った。  瀬戸内海を走る船は所詮内海用で、波の荒い日に運行するようには出来ていない。四国フェリーの大きな船だって、港の風速が18メートルを越えると出港できないらしい。安全に接岸できないからと言う理由だ。そして、船そのものも大波を切って走るようには出来ていない。実際の話だが、古いフェリーを売却するためにフィリピンに向かっていたときに、太平洋の高い波を浮けて船体が割れたそうだ。浸水した場所が良くて沈没することは免れたらしいが、修理してからフィリピンに引き渡されたらしい。それだけ強度の設計が違うのだ。そして僕が恐れた横揺れは、外洋の船には飛行機の翼みたいなものがついていて、揺れをかなり防ぐらしい。そんなもの見たことはないが、波が強いと出てくるのだそうだ。それを使うとまるで飛行機に乗っているみたいだと言っていた。上下の揺れは仕方ないが横揺れはそれでかなり防げるらしい。外洋専門の船乗りでもさすがに大波は怖いらしくて、僕らが瀬戸内海の波に恐怖するのも仕方がない。  ついでにもう一つ参考に面白い話を披露する。彼は一度海に落ちたらしい。その時に着ていたのは普段着ている作業着で、水に濡れると身動きがほとんど出来なかったと言っていた。落ちてから服を脱がなければと思ったらしいが、服が腕にぴったりとくっついてしまって、脱げなかったらしい。結局は浮き輪を投げてもらって助けられたらしいが、着衣のまま落ちればよほどの水泳の達人でないと助からないのかもしれない。我は海の子だから、浮き続けることは出来ると思っていたが、そんなことは実は出来ないのかもしれない。板切れ一枚下は地獄。よく言ったものだ。