さすが海の町だから漁師の方もしばしば薬局に来る。僕の祖父が漁船相手の鉄工所を経営していたから、もともと縁は深い。もっともそんなことを知っている漁師は今はもう少ないだろうが。
 最近は知床での観光船の事故のことがよく話題になる。僕が教えを乞うから余計その話題になるのかもしれないが、知れば知るほど、あの事故が無謀だったことが分かる。
 やはりこの辺りでは3メートルの波など台風の時しかないと言われた。僕らが子供の時には、海岸までその波を見に行っていた。当時の親は度胸があったのだろう、幼い子供が台風の波を見に海岸まで行っても気にもしなかった。瀬戸内の人間には、めったに見ることが出来ない、恐ろしいまでの波を見るために、強風が吹く岸壁に立ったりしたものだ。瀬戸内海の台風並みレベルとは!全員、観光どころか船酔いだっただろうと、専門家が言っていたのが頷ける。誰かが勇気を出して臆病を演じれば全員亡くならずに済んだろうにと残念だ。
 牛窓の前島のずっと沖に、二十四の瞳で有名な小豆島がある。紅葉がきれいな観光名所の寒霞渓が牛窓からでも見える。なんでも寒霞渓の東か西か忘れたが、どちらかに雲がかかれば、牛窓の海は時化るらしい。そのようなかつての生きた天気予報の知恵も伝承はしているが、現代機器には及ばないと、自嘲気味にある漁師が言っていたが、やはり情報とともに「恐れ」も必須だろう。それがなくては単なる無謀になってしまう。巻き添えを食う人たちはたまらない。

この文章を書いた直後以下のような文章がインターネットに掲載されていた。なぜか最初に沈没のニュースを知ったときから、自分でも不思議なくらい怒りが湧いていた。こんな因縁がそうさせたのだろうか。いわゆる胸騒ぎ。

■小型船舶登録原簿の情報 
いったいこの船はどういった船だったのか。
AERAdot.編集部では、カズワン船体の写真から判読できた船舶番号から、所有権の移転などを記した「小型船舶登録原簿」(原簿)を入手した。
原簿を見ると、新規登録されたのは、この小型船舶登録制度の運用が始まった2002年4月になっている。制度開始と同時に登録された可能性が高く、それ以前の情報は確認できない。
02年4月時点の所有者は岡山県旅客船業を営むA社だった。その後、04年10月に大阪府の個人に所有権が移転。05年10月に、今回事故を起こした「有限会社知床遊覧船」に所有権が移転している。02年の登録時点では、船籍港日生町岡山県)、総トン数19トン、長さ11.86m、幅4.15m、深さ1.52mだった。所有権が移った05年には船籍港斜里町(北海道)に変更。その後、15年に改造され、長さ12.14m、深さ1.62mに変更されている。
さらに編集部では、02年4月以前のカズワンの就航状況を知るという男性(40代、広島県瀬戸田出身)に話を聞くことができた。瀬戸内海の旅客船に詳しいこの男性によると、「カズワンは、瀬戸内海を02年以前から航行していた船でほぼ間違いない」と言う。雑誌「旅客船 207号」(日本旅客船協会)に掲載された1998年10月時点の高速船艇就航状況を見ると、A社の船で、岡山県内の日生~牛窓を行き来する旅客船を確認することができた。総トン数は19トン、船質はFRPで同じだ。旅客定員は79名でこちらのほうがやや多いが、ほぼ同程度の大きさだ。

 

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