羨望

 本人がそう言うのだからそうなのだろう。1999年以来と言うから16年ぶりと言うことになる。思えば卒業してから片手で収まるくらいしか会っていないから、10年に1回くらい会っている事になる。それでも僕にとっては一番大切な二人のうちの一人なのだ。そう言えばもう一人も大体同じペースでしか会っていないから、先輩がいみじくも言ったように「不思議な関係」だ。僕はいまだ嘗てこの2人の先輩を超える人間関係を築いていないから、恐らくこのまま一番大切な人達で終わるのだろう。  高山から車で来るには体力が衰えすぎているから、若い同行者に助けられてやってきた。薬局に入ってきたとき、どこか面影はあったが、ひょっとしたら他人かもしれないと声を聞くまで迷った。さすがに声は嘗てと同じだったが、風貌はやつれて、真っ白のひげを蓄え、深く刻まれたしわが縦横に走る顔を隠していた。公園でダンボール住まいをしている人たちと間違われること請け合いだ。  最近僕もずいぶんと老けたが、えらい自信を持ってしまった。僕より1歳上だけなのに、皮膚のつやはなく、しみが出来、皮をつまめるくらい筋肉が落ちていた。それに比べればまだ僕は外見はきれいだ。「変わってないじゃない」と先輩はお世辞みたいなことを言ってくれたが、彼に比べれば実際変わっていない部類に属するかもしれない。会いに来てくれたことに感謝したいくらいだ。  ただ見かけの衰えとは裏腹に、先輩の心はやはり若くて自由だ。僕などお呼びもつかないくらい自由を謳歌している。ただ先輩の場合は、遊び人ではない。高山の文化の一端を担っている。それが証拠に、どんな水脈が日本中に張り巡らされているのか分からないが、多くの人が引き寄せられて訪ねて来る。どう見ても表街道と言う感じはないが、ある価値観を共通して持つ人たちのための旅の宿みたいな拠点になっている。  彼がやってきた理由は、唄を歌うためだった。勿論我が家でではない。一昨日は、建部町と言うところの喫茶店で、今夜は愛媛県道後温泉の喫茶店で歌う。本当は牛窓でも歌いたかったのだが、それを企画してくれる喫茶店がなかった。その代わりといっては何だが、夕食後、我が家のリビングでリハーサルを行った。40年彼の唄を聴いたことはなかったが、上手いというか下手と言うか、どちらでもいいのだが、訴えてくる言葉がちりばめられていた。これは本当に珍しい。軽い言葉を並べただけのような歌が氾濫していて、聴くに耐えられない唄ばっかりの時代に、歌われる言葉から想像力を働かせてもっと普遍性を持った思考ができた。  そして何より驚いたのは、歌の中にちりばめられた言葉が、今僕が思考するときに必要な単語ばかりだったのだ。僕の人生を変えるくらいのインパクトで目の前に現れ、実際に変えてしまった人と、40年後にも又同じようなことで世の中を憂うのが興味深かった。僕も感じていたが、彼の口から「俺は25,6で人間性が固まって、以来全く変わっていないよ」と全く同感な言葉が出た。  先輩も同行者も、一般の人から見ればそれこそ自由に生きている。夕食時いっぱい話をしたが、その輪の中に入っていた息子が「自由な人達だなあ!」と羨望のまなざしで言った。  和太鼓ばかりに興味が行って、フォークソングは疎ましくなっていたが、まだ人によっては、歌う唄によっては感動を覚えるんだと先輩に教えてもらった。