癒し

 コーヒー1杯の値段のどれくらいが生産者に渡っているのだろう。もし日本で300円のコーヒーを飲んだら、いくらがコーヒー豆の生産者に渡っているのだろう。あるデーターによるとわずか1%だそうだ。300円のコーヒーの値段のうち3円が生産者に渡っていることになる。彼らはそれを知っているのだろうか。資本が安く買い叩き、巨額の利益をあげていることを知っているのだろうか。遠く離れた豊な国で、白色をした人間や黄色の人間が、太陽に照りつけられることもなく、大地に渇きを覚えることもなく、快適な人工空間で空虚な癒しを演出するために命まで買い叩いたことを知っているのだろうか。汗水流すのは貧乏になるためなのか。汗水を避けパソコンの前に座れば豊になるのか。  牛窓の沖に浮かぶ島は確実に小さくなっている。僕が幼い頃見た島とは違う。明らかに海は高くなっている。大潮の時は、港で手を伸ばせば海面に届く。経済しか見ない人間によって、地球は焼かれた。いずれ水没するところがゾクゾクと出てくるだろう。水没させたやつらはその頃は死んでいるから、誰を恨めばいいのだろう。コーヒーの1%の取り分しかない人達は誰も責めない。それに乗じて奪い取る人たちは決してさばかれない。むしろ社会の成功者だ。命を奪い、土地を奪い、空気を奪っても成功者なのだ。なんて不公平で不平等な時代なのだ。浮かばれない人が周りにいて、誰が浮かばれるだろう。居心地の悪さを感じないのだろうか。真実を知れば、コーヒーも癒しではなく、「いやしい」になる。