何万種類の涙

 いつものように、1週間の体調を尋ねている時に、彼女は急に泣き出した。抑えきれない感情が堰を切って溢れ出た。職業柄気丈な彼女が、弱みを見せることはない。ただ仕事がハードな為に、40を回るかどうかの割には不調が多い。そもそも薬局に来て下さった最初の理由は、朝の頭痛だった。目が覚めた時から頭痛がし、いざ働き始めると、今度はクラッとして倒れそうになると言う相談だった。血圧も高かった。煎じ薬を毎週取りに来た。以来ほとんどの症状は取れたが、年令とともに新しい不調も出てきて、今では子宮筋腫のお世話をしている。いや、不整脈かな?何せ僕は万屋だから治せといわれたらなにでも挑戦する。言いたいことはそんなことではない。40歳を回った女性が、新しい環境へ急に行くように言われた時の、戸惑いをこの2週間見てきた。リストラに会わなかった分幸せかもしれないが、彼女にそこまで考える余裕はない。新しい環境に挑戦しようという前向きな決心も見られない。個人の性格もあるのだろうが、居心地がよかった分、そこから出ることにかなり臆病になっている。他者を思いやるほど現代人に余裕はない。いやそれよりも何よりも、他者を思いやり大切にするなんてことを、どこでも教えてもらっていないのではないかと思う。残念ながら、親からも、おじいちゃんおばあちゃんからも、学校でも、会社でも、地域でも。だから、40を回って新しくやってきた人間を、優しく迎え入れる度量にかけるし、彼女は不安、不満を境遇に置きかえることでしか、心のもって行き場もなかった。誰かのせいにしてやっと自分を保って生きていくすべしかさしあたって見つからないのだ。人と人を結びつける倫理も道徳も非生産的なるがゆえに、古本屋の隈に押しやられている。 この瞬間にも涙を流している人はいっぱいいる。何万種類の涙があって、それぞれが何ですくわれる涙なのだろう。