圧倒

 「頼りにしています」と言われた場所と言われた人が、正に場違いだから、返事に困った。何と答えたか忘れたが、言われたことは頭に残った。
 玉野教会に入ってすぐに皆さんに新年の挨拶をした。その中の一人の女性がそのように言ってくれたのだが、まさに僕と逆のような方。信仰熱き人たちの中で、その才能を生かして、ミサの進行を支えたり、教会の運営を中心になって支えている。
 翻って僕は、信仰薄き人間で、何の役割も担っていない。気が向いたら行くみたいなところで、最優先ではない。
 そんな方が頼ってくれるのだから、訳が分からない。「手伝わなくてもいいから邪魔だけしないで!」などの𠮟責の方がよほど適している。なのに、何かの間違いのようなことを言ってくれた。
 ただし、その後の神父様の説教を聞いていたら、何かお手伝いをしなければならないなと思い始めた。その女性の言葉が、まるで説教の伏線になっていたように、連携プレーだった。
 新しい歳が始まっても、何の変化もない。東京の年の瀬や元旦の賑わいをテレビで見ていて、この瞬間直下型地震が襲ったら、この方たちの命は・・・・と考えていたら、北陸の田舎で起きた。東京で暮らす勇気に圧倒される。
 自然にやられるか、人間にやられるか、祈りで回避できるものではない。ただその不安は祈りで回避できる。僕が辛うじて教会に通えるのは、そうした理由かもしれない。
 頼りにならない人間に「頼りにしています」はなかなか上手だ。説教の後「何が出来るだろうか」などと考えてしまったから。

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