奇跡

 現在の玉野教会の神父様は説教が上手だ。クリスチャンでない方がこの説教と言う言葉を聞くと、なんだか叱られているように感じるかもしれないが、そうではない。聖書の解説や、そこから導き出す教訓などを、ミサの途中で話されるのが説教だ。
 神父様にも個性が色々あり、ただ単に解説するだけの方。解説に加えて、教訓を真剣に話してくださる方。そして最後に、現在の神父様のようにユーモアたっぷりに教訓じみた内容をまるで世間話のように話される方。
 僕は、不良信者だから、当然最後のパターンでないとついていけない。ふっと笑いが数回でもミサの間に零れればついていける。昨日もそういった説教だった。
 その中で印象的な話があった。聖書の下りは、盲目の男がキリストに歩み寄り、目が見えるように奇跡を起こしてくれと頼んで、目をみえるようにしてもらったのだが、キリストが目が見えるようにしたのも奇跡だが、男がキリストに出会ったってことが奇跡だというのだ。そこから「出会いは最大の奇跡」と神父様が言われたのだが、なるほどと腑に落ちた。
 きのうのブログで書いた、僕と先生の出会いも又奇跡としか思えない。生薬で留年したような人間が、よりによって漢方を勉強したいと思った。そして偶然ある勉強会で出会った〇〇さんが、門戸をほとんど開かないその勉強会に入れてくれた。そしてそこから僕の薬剤師人生が始まった。
 こうして考えてみれば、すべての出会いがことの大小はあるがすべて奇跡のように思える。むしろ「出会いこそ」と表現してもいいのかもしれない。
 この説教の最後には落ちがあって、「目を見えるようにしてもらった男がその後どのような人生を歩んだかは書かれてはいませんが」
 ここからは奇跡ではなく、軌跡に変わる。ここからも又難しい。

 

(68)山本太郎は熱いだけではない!=気遣いの人だ。500円ハゲになるのも分かる。 - YouTube