他人事

 「なんか元気になる薬はないかな」と青ざめた表情で僕に尋ねた。毎月処方箋を持ってくるから、病院でそう訴えればいいと思うが、今日はそのためだけにやって来た。血色がなかったので本当に疲れ切っているのは伝わって来る。ただ、それが慢性的な疲れか、昨日今日の疲れかで僕が勧める薬は違ってくるから、疲れの期間を尋ねてみた。すると昨日からと教えてくれたので、処方は決まりだ。しんどければしんどいほど力を発揮するドリンクを勧めた。二日分希望したので2本渡し会計をした。
 2本で2860円だから「高いな」と言ったが、すぐに「高くても効いてくれればいい。朝から倒れそうなんで」と自分に言い聞かせていた。僕は「お金を持っていても使うこともないじゃろう。こんな時こそ使ったら!」と言うと意外な答えが返ってきた。
 「使い道は一杯あるんじゃ。嫁さんが施設に入っとるから」と真顔になった。もう10年近く前に、ある病気を発症し施設を転々としながら今はある病院でお世話になっているらしい。病院では、胃婁と人工呼吸器で横たわっているらしいが、入院している病院の名前を聞いて「死なせない、死ぬことのできない病院」だとわかった。
 ほとんど植物状態に近い奥さんに会いに行っても、会話は勿論、意思の疎通もほとんどできない。20数年前に僕が父の入院で経験したことと全く同じだ。まるで機械で生かされていただけだ。
 息子に言わせれば点滴で溺れさせられている状態らしくて、いたずらに半年以上苦しめた後悔からいまだ僕の心は解放されていない。何かの拍子に思い出し申し訳なさで辛くなる。点滴が、水分を入れられ溺れている状態と言うのを知っていればあんな選択はしなかったのに、当時の無知を悔いる。
 90歳に近い男性も、後悔していた。まだ夫婦が元気な時には、お互い延命治療をしないと約束していたらしいが、医師の誘導で何ら意見を挟む余地もなく、生かされ続けられているらしい。素人が責任を負う覚悟で判断するなんてことはできない。
 老人の憔悴は、他の家族の不幸が重なったことにより輪をかけて激しくなったみたいで、狭心痛も訴えていた。数年前にがんの手術をしていることも知らされ、話を聞きながらこちらが苦しくなってきた。誰もが遭遇する可能性があり、ある意味ではありふれた光景かもしれない。
 僕は自分用と老人用に、ある漢方薬を持ってきて二人で舐めた。周りに泣き言を聞いてくれる人がいないのだろう、その後しばらく話をして帰ったが、身につまされるとはこのようなことを言うのだろう。他人事で済む幸運は滅多にはやっては来ないから。

三浦瑠麗夫の太陽光ビジネス業務上横領と大規模金融緩和。モラルハザードが引き起こした数々の事件達。安冨歩東大教授。一月万冊 - YouTube